日本歴史地名大系 「二川貝塚」の解説 二川貝塚ふたがわかいづか 福岡県:三池郡高田町楠田村二川貝塚[現在地名]高田町下楠田有明海に向かって西へ延びる丘陵の北に突出した標高八―一二メートルの小さな舌状台地先端にある。老齢(おい)貝塚・下楠田(しもくすだ)貝塚ともよばれる。大正九年(一九二〇)・同一一年清野謙次が人骨収集のため発掘し、七体の人骨を入手した。人骨は不完全で、仰臥屈葬の埋葬が多い。昭和一六年(一九四一)にも鏡山猛によって発掘調査された。明治期の石灰製造によって大半の貝層が消失し、貝塚の規模は不詳である。貝種はハイガイ、アカガイ、ハマグリなど内湾砂泥性が多く、鹿や猪などの獣骨や鹿角も発見された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by