デジタル大辞泉 「鹿角」の意味・読み・例文・類語
ろっ‐かく〔ロク‐〕【▽鹿角】
2 昔の武具の一。鹿のつのに似た鉄製のくま手。引っかけて物を引き寄せるのに使った。
秋田県北東端にある市。北は十和田(とわだ)湖を挟んで青森県に、東は岩手県に接する。1972年(昭和47)花輪(はなわ)、尾去沢(おさりざわ)、十和田の3町と八幡平(はちまんたい)村が合併して市制施行。市名は郡名による。JR花輪線、国道103号、104号、282号、341号、454号が通じ、東北自動車道の鹿角八幡平と十和田の2インターチェンジがある。江戸時代は南部氏盛岡藩領で花輪、毛馬内(けまない)には代官所が置かれた。産業は米代(よねしろ)川流域の花輪盆地での米作のほか、鹿角リンゴや野菜栽培、畜産も盛ん。尾去沢鉱山は藩政時代直営鉱山として栄えたが、1978年閉山した。市の北部や南部は十和田八幡平国立公園に含まれ、大湯(おおゆ)、後生掛(ごしょがけ)など温泉も多い。国の特別史跡に大湯環状列石、重要無形民俗文化財に花輪祭の屋台行事、大日堂舞楽、毛馬内の盆踊などがある。面積707.52平方キロメートル、人口2万9088(2020)。
[宮崎禮次郎]
なお、大日堂舞楽は2009年(平成21)、花輪祭の屋台行事は「山・鉾(ほこ)・屋台行事」(33件のうちの1件)として2016年に、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録された。また大湯環状列石は2021年(令和3)、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[編集部 2022年1月21日]
『『鹿角市史』全5巻(1982~1997・鹿角市)』
秋田県北東部,花輪(鹿角)盆地の中心都市。1972年,鹿角郡花輪町,十和田町,尾去沢町,八幡平村が合体して市制,改称。人口3万4473(2010)。9世紀ころ,この地方は上津野(かづの)といわれた。周辺は奥羽山脈の山並みで,中央部に花輪盆地が開け,米代・大湯・小坂川が三方より流入している。河川の沖積平野は水田化され,山麓は高・中・低位河岸段丘の発達が著しく,果樹園,普通畑として利用される。鹿角リンゴ(ふじ,デリシャス)は県北を代表する果物である。また野菜類の生産,乳用牛,肉用牛の飼育も多い。近世,花輪,毛馬内(けまない)には盛岡藩の代官所が置かれ,この地方の行政,経済の中心地であった。現在も花輪は市の中心をなし,市役所のほか県庁出先機関も多く,盆地南半部と岩手県八幡平市,二戸市,二戸郡を商圏としており,また毛馬内は十和田地方の中心をなし,盆地北半部を商圏として商業が盛んである。JR花輪線が通じ,東北自動車道に鹿角八幡平と十和田の二つのインターチェンジがある。大湯は泉源多く,湧出量豊かな温泉町として知られる。尾去沢鉱山は近世以降,日本有数の銅山として著名であったが,1978年に閉山した。八幡平は八幡平観光の秋田県側出入口で,湯瀬・八幡平温泉群も観光地としてにぎわう。大日堂舞楽は重要無形民俗文化財。また大湯環状列石がある。
執筆者:北条 寿
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…とくに骨角器の生産の高まったのは,後期旧石器時代になってからである。各種の骨や角から,槍先や銛(もり)頭のような狩猟具,針や錐(きり)といった工具,鹿角製の投槍器や指揮棒,そしてマンモス牙製の女性像や装身具が作りだされている。このように骨角器が多種・多量に生産されたのは,後期旧石器時代になって,人類の精神活動が著しく向上したことと相まって,道具を作るための道具である石器,すなわち,ものを彫ったり,削ったりする彫器や,ものを磨研する砥石類などの製作・使用技術を手に入れたからである。…
※「鹿角」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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