二穴村
ふたあなむら
日出ヶ島村の西一七町余に位置する。小口瀬戸に面し、対岸は三室村(現七尾市)。戦国後期頃の能登内浦村々給人注文写(諸橋文書)に「二穴」とみえ、温井氏が給人であった。天正三年(一五七五)六月の向田八幡宮造営棟札(伊夜比
神社蔵)によると、二穴が旦那衆として奉加を行っている。
天正一三年六月一八日の免定写(当摩文書)には村名が記載されず、同年一一月二六日の
目村年貢皆済状写(同文書)に五〇俵「二穴ニて請取」とあることから、この頃二穴は
目の裁許下にあったと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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