二階堂家住宅
にかいどうけじゆうたく
[現在地名]高山町新富
弓張城跡西麓の高山川右岸にある武家住宅。文化七年(一八一〇)頃の建築とされる。国指定重要文化財。二階堂氏は藤原南家流を称する鎌倉幕府御家人で正応六年(一二九三)薩摩国阿多北方(現金峰町)へ下向。その子孫で島津義久の奥御小姓であった二階堂行盛は、天正七年(一五七九)頃義久により高山大林坊屋敷を与えられて鹿児島から移り、以後その子孫は高山郷麓に居住した(「二階堂家住宅由来書」二階堂家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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二階堂家住宅
鹿児島県肝属郡肝付町にある住宅。「おもて」と呼ばれる座敷部分と「なかえ」と呼ばれる居間部分の2棟からなる分棟型民家。国指定重要文化財。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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