五十浦村(読み)いかうらむら

日本歴史地名大系 「五十浦村」の解説

五十浦村
いかうらむら

[現在地名]相川町五十浦

南は寒戸さぶと崎の陰になる舟付ふなつけせき村、北は集落のはずれが境で岩谷口いわやぐち村に接する。東は山地が住家の裏まで迫り、段丘は標高二〇〇メートルの高位にある。集落はおきノ崎と山地に挟まれた狭い崖下に小さくまとまる。水田は五十浦川下流右岸の低地と左岸中流域の高い段丘面にあるが、適地に乏しく面積は少ない。村へ最初に入ったのは渋谷弥兵衛といわれる。弥兵衛家は能登天平てんぴよう(現石川県鹿島郡鹿島町)からきた伝承をもち、持仏の地蔵を祀って古くからかきうちに住む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む