五大院跡(読み)ごだいいんあと

日本歴史地名大系 「五大院跡」の解説

五大院跡
ごだいいんあと

[現在地名]川内市五代

新田神社の西約一・五キロにあった同社別当寺。神宮寺五代院とも号した。五大院の名は宝治元年(一二四七)一一月の新田宮所司神官等解文(神代三陵志)に「五部神」とあり、その信仰に基づく本尊五大尊明王を安置することによるか。保延元年(一一三五)一〇月二五日の院主石清水権寺主大法師某下文(旧記雑録)は「五大院政所正信」に宛て、高城東たきとう郷・ちゆう郷、入来いりき院・薩摩郡・宮里みやざと郷・阿多あた郡等内所在の寺領田畠の耕作の管理を政所として全うすべきことを命じている。薩摩国建久図田帳には、宇佐弥勒寺領一九六町一反のうちに「五大院九十一町一段 郡々散在下司僧安慶」とあり、散在の寺領は近郷の高城郡内に三〇町、薩摩郡内に五町八反、東郷別符に八町五反、入来院内に二町のほか、阿多郡内に四四丁八反があった。寛元元年(一二四三)八月一〇日の五大院主迎阿譲状(新田神社文書)によれば、嫡子友成に新田宮執印職・五大院院主職とともに「散在宮五大院薗等」が譲られ、三男康秀には五大院院内の「限志多江西田者令散在、又除城五郎薗定」と「五大柳田八段、同橋口六反」、惟宗二子(次女)分として「用作五大川辺壱丁」「五大城五郎薗壱所」、惟宗三子(三女)分として「五大修正分壱丁」が譲られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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