五日町村(読み)いつかまちむら

日本歴史地名大系 「五日町村」の解説

五日町村
いつかまちむら

[現在地名]新庄市五日町・栄町(さかえちよう)・万場町(ばんばちよう)・常葉町(ときはまち)・堀端町(ほりばたまち)・小田島町(おだしままち)・大手町(おおてまち)・本町(ほんまち)・住吉町(すみよしまち)・沖(おき)の町(まち)・多門町(たもんまち)・大町(おおまち)・宮内町(みやうちまち)・城南町(じようなんまち)・城西町(しろにしまち)

家中屋敷のある郭内(かくない)の東、十日町(とおかまち)村の南に続くが、十日町村や金沢町(かねざわまち)村と複雑に入組んでいる。五日町の名称は、十日町とともに慶長一九年(一六一四)から元和八年(一六二二)の日野将監在城時代に、城の東側に定期市を開き、大手口を境にその南は五のつく日、北側は十のつく日に店を構えさせたことに始まる。その後大手口より南を五日町、北を十日町とよぶようになった。元和八年戸沢政盛が入り城郭および武家町の拡張をはかり、五日町・十日町の町人町を東に移し、新たに羽州街道を鳥越(とりごえ)村から城下に引込み、これに沿って五日町・十日町を設けた。


五日町村
いつかまちむら

[現在地名]六日町五日町

寺尾(てらお)村の北と東、北は今町(いままち)村(現大和町)、東は魚野(うおの)川対岸麓(ふもと)村および水尾(みずお)新田(現大和町)。枝村の欠之下(かけのした)が北にある。三国街道の宿場で、下方浦佐(うらさ)村(現大和町)へ一里二八町、上方六日町村へ二里。集落は街道沿いに並ぶ。もとは西方山中の河原沢(かわらざわ)の字西蓮寺(せいれんじ)にあり、飲料水を求めて現在地に移ったという(南魚沼郡誌)。正保国絵図に村名があり高四〇四石余、欠之下村高三四石余。天和三年郷帳では高二六二石九斗余のほか同所新田高七石九斗余が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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