五日町片町(読み)いつかまちかたまち

日本歴史地名大系 「五日町片町」の解説

五日町片町
いつかまちかたまち

[現在地名]鶴岡市大東町だいとうまち昭和町しようわまち

五日町の東、うち川に沿って東西に続く給人町で、南のみの片側町。延宝六年(一六七八)の城下絵図では御足軽町三一間とある。元禄九年(一六九六)の城下大絵図には片町一六八間とある。文政六年(一八二三)の城下絵図(鶴岡市郷土資料館蔵)では足軽・中間・馬方の屋敷がみえる。道の北側は十王じゆうおう堂・じゆう(重)阿弥あみ屋敷・しま村百姓地となっていた。十王堂は永禄五年(一五六二)長泉ちようせん寺で没した遊行上人の墓を守るため当地にとどまった十阿弥が、最上義光より御免地を受け建てたとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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