日本歴史地名大系 「五郎兵衛新田村」の解説 五郎兵衛新田村ごろべえしんでんむら 長野県:北佐久郡浅科村五郎兵衛新田村[現在地名]浅科村上原(かみはら)・中原(なかはら)・下原(しもはら)蓼科(たてしな)山の東北麓が御牧原(みまきがはら)と接する辺り一帯に開かれた新田村。東は御馬寄(みまよせ)村とその枝郷駒寄(こまよせ)・相浜(あいはま)村・平井(ひらい)村(ともに現佐久市)に接し、西北は矢島(やしま)村・八幡(やわた)村・桑山(くわやま)村に接する。近世初頭まで矢島原(やしまがはら)とよばれ、水利が悪いため一部を除き放置されていた荒地。ここに戦国土豪の流れをくむ市川五郎兵衛が開発を申し出、寛永三年(一六二六)一二月、その免許が松平忠憲家臣から下った(「柳沢家文書」学習院大学史料館蔵)。<資料は省略されています>寛永八年に用水堰を開削、鹿曲(かくま)川からの引水に成功、同一九年にはこの功を賞して松平忠憲家老から市川五郎兵衛あて褒美地が給付された(「新田御褒美領之事」市川育英氏蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by