五郎兵衛新田村(読み)ごろべえしんでんむら

日本歴史地名大系 「五郎兵衛新田村」の解説

五郎兵衛新田村
ごろべえしんでんむら

[現在地名]浅科村上原かみはら中原なかはら下原しもはら

蓼科たてしな山の東北麓が御牧原みまきがはらと接する辺り一帯に開かれた新田村。東は御馬寄みまよせ村とその枝郷駒寄こまよせ相浜あいはま村・平井ひらい(ともに現佐久市)に接し、西北矢島やしま村・八幡やわた村・桑山くわやま村に接する。

近世初頭まで矢島原やしまがはらとよばれ、水利が悪いため一部を除き放置されていた荒地。ここに戦国土豪の流れをくむ市川五郎兵衛が開発を申し出、寛永三年(一六二六)一二月、その免許が松平忠憲家臣から下った(「柳沢家文書」学習院大学史料館蔵)

<資料は省略されています>

寛永八年に用水堰を開削鹿曲かくま川からの引水に成功、同一九年にはこの功を賞して松平忠憲家老から市川五郎兵衛あて褒美地が給付された(「新田御褒美領之事」市川育英氏蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む