日本大百科全書(ニッポニカ) 「村寄合」の意味・わかりやすい解説
村寄合
むらよりあい
村民集会。明治以後では「村会」とは別な伝統的な「ムラ(集落・区)」の総集会をいい、その協同生活にかかわる万般の事項を協議決定する場となっている。区会、集落総会、耕地総会、契約会など呼び名はいろいろだが、いずれも近世の「村」の村民集会の伝統を受け継ぐところで、制度上の「村会」とはまったく別個であり、村落協同生活の運行に重い役割をいまに果たしている。都市場面の「町内会」の総会も似た形だが、その伝統はまったく違っている。村寄合の「正員」は、「ムラ」構成の基本単位である「家」の代表者(家長)で、全員、義務として出席し、協議決定に加わることが要請され、成人の「跡取り」に限って代理出席が許された。協議事項は、協同生活運行の年間計画とその予算決算や臨時的な重要事項で、定例会は通例年2回、緊急な場合には臨時に開かれた。そして総会のほかに、総代会、伍長(ごちょう)会、組長会、区会、委員会等の名目で、代表委員・常任委員の会議が別にあって、恒常的事項の実施その他は臨機処理することになっていた。近世の村寄合は村役人(重立衆)の主導のもとに参集され、貢租納入、村掛費用の処理そのほか村祭礼などの協同生活万般にわたる協議決定あるいは示達の場面として重視され、「本百姓」層主体の構成であったが、のちには「小前(こまえ)」「平方(ひらかた)」「水呑(みずのみ)」も力を増すまま参加する形勢を一般に呈してきたようである。村寄合の場には古くは村役人の役宅か寺院神社念仏堂などを用い、「祭宿」で祭事後開く所もあったが、しだいに集会所の類が一般的となっていった。
明治の地方制度改革で新町村が生じ「村会」が設けられても、なお旧来の「村」は、制度外の存在ながら、村落協同生活の必要性に支えられて、いわゆる「ムラ(集落)」として残って、一種の自治機能を持ち続け、やがて「行政区」の制度とも合体して、自治行政町村の内部機構として存続しつつ今日に及んでいる。「村寄合」はそのために形を変えつつも広くいまに存在している。なお「村寄合」では「満場一致」の議決を元来の伝統とするが、少なくとも明治以後は「多数決」を本旨とする形に移った。しかしなお「全会一致」の実態はいまも広く残っている。
[竹内利美]