日本歴史地名大系 「五馬庄」の解説
五馬庄
いつまのしよう
現天瀬町南部を中心とする地域に比定される。日田庄の内であったとされるが、史料上では広域通称名としてみえることが多く、近世に及ぶ。庄名は「豊後国風土記」にみえる五馬山との関連が指摘される。天瀬町
天正八年(一五八〇)と推定される四月二三日の大友義鎮感状(大友家文書録)に「五馬庄井手口松原村」とみえ、財津永三が筑前に敗走しようとした田北紹鉄(鑑重)を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報