井上織子(読み)イノウエ オリコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「井上織子」の解説

井上 織子
イノウエ オリコ


職業
ソプラノ歌手

肩書
東京女子音楽学校教授

生年月日
明治35年 5月6日

出生地
長崎県 壱岐郡武生水村

学歴
東京女子音楽学校卒

経歴
卒業後渡欧。ベルリンの国立音楽学校で同校教授ワイゼンボルンの指導を受け、ドイツ音楽を修める。大正14年に帰国し、以後はソプラノ歌手としてシューベルトやブラームスらドイツ・ロマン派歌曲を中心に歌い、我が国第一人者と目された。また、音楽教師としても活躍し、母校東京女子音楽学校や日本音楽学校などの教授を歴任。昭和5年再びドイツに渡り、日本青年館でシューベルトの「おやすみ」その他3曲を歌い好評を博した。しかし同年8月、日本から来た客人にベルリン市内を案内している途中、市内のポツダムで交通事故に遭い、死去

没年月日
昭和5年 8月31日 (1930年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「井上織子」の解説

井上 織子
イノウエ オリコ

大正・昭和期のソプラノ歌手 東京女子音楽学校教授。



生年
明治35(1902)年5月6日

没年
昭和5(1930)年8月31日

出生地
長崎県壱岐郡武生水村

学歴〔年〕
東京女子音楽学校卒

経歴
卒業後渡欧。ベルリンの国立音楽学校で同校教授ワイゼンボルンの指導を受け、ドイツ音楽を修める。大正14年に帰国し、以後はソプラノ歌手としてシューベルトやブラームスらドイツ・ロマン派の歌曲を中心に歌い、我が国の第一人者と目された。また、音楽教師としても活躍し、母校東京女子音楽学校や日本音楽学校などの教授を歴任。昭和5年再びドイツに渡り、日本青年館でシューベルトの「おやすみ」その他3曲を歌い好評を博した。しかし同年8月、日本から来た客人にベルリン市内を案内している途中、市内のポツダムで交通事故に遭い、死去。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上織子」の解説

井上織子 いのうえ-おりこ

1902-1930 大正-昭和時代前期のソプラノ歌手。
明治35年5月6日生まれ。ベルリンでワイゼンボルンについてシューベルトの歌曲をまなぶ。大正14年帰国。歌手活動のほか,母校東京女子音楽学校などの教授をつとめる。昭和5年ふたたび渡欧,同年8月31日ベルリンで自動車事故のため死去。29歳。長崎県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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