日本大百科全書(ニッポニカ) 「自動車事故」の意味・わかりやすい解説
自動車事故
じどうしゃじこ
自動車によって引き起こされる事故、およびそれによって人畜や物に損害を与えることをいう。
[松尾光芳]
くるま社会と自動車事故
1960年代になると、日本の自動車の保有台数は毎年ほぼ20%前後の増加率をみせ、国民生活のなかに急速に普及し始め、日本も本格的なモータリゼーション時代を迎えることになった。自動車産業は経済成長を支える主役となり、自動車の大量生産は高度に発達した生産技術と生産資本との蓄積を可能にした。自動車の大量消費は豊かな国民生活の象徴と喧伝(けんでん)された。さらに、自動車専用道路の建設・整備は公共事業の重要な柱となった。このように、自動車の普及と道路網の整備によって、都市構造も大きく変化し、農村における生活様式も大きく変貌(へんぼう)を遂げた。
他方、モータリゼーションの発展は、道路の渋滞、自動車事故、公害、公共交通体系の破綻(はたん)、自然環境の破壊など、さまざまな社会問題を引き起こしている。2009年(平成21)時点で、日本ではなお年間4900人を超える人々が自動車事故で死亡している。さらに、社団法人日本損害保険協会の調査によると、自動車事故がもたらす車や人命の損失による損害額は2008年の1年間で3兆2830億円と推計されている。このように、自動車事故問題は依然として大きな社会問題であり、物的損害だけでなく精神的損害も計り知れないものがある。
[松尾光芳・藤井秀登]
推移
『交通安全白書』によると、1970年(昭和45)は、死者数1万6765人、負傷者数98万1096人と合計で100万人近い史上最悪の数字を記録し、自動車事故史上一つのくぎりとなった「第一次交通戦争」のピークであった。しかし、死傷者数は翌年から減少に転じ、着実に減少の一途をたどった。なかでも、1974年は石油危機の影響もあり、前年比で死者(21.6%減)、負傷者(17.5%減)とも大幅な減少となったものの、1975年以降減少率は低下した。とくに死者数は1992年(平成4)に1万1451人というピークをふたたび迎え、「第二次交通戦争」といわれた。その後、死者数は一貫して減少傾向にある。
[松尾光芳・藤井秀登]
発生状況
(1)2009年(平成21)の自動車事故は、発生件数73万6160件、死者数4914人、負傷者数90万8874人と、件数および負傷者数で前年を下回った。死者数は2000年以降連続で減少している。
(2)人口10万人当りの都道府県別死者数をみると、全国平均が3.9人で、東京都1.6人、神奈川県2.0人、大阪府2.3人に対し、山口県7.4人、香川県7.0人、茨城県6.7人と、もっとも多い山口県はもっとも少ない東京都の約5倍にあたっており、死亡事故発生に著しい地域格差がみられる(2009年時点)。
(3)状態別事故死者数をみると、歩行中(全死者数の34.9%)、自動車乗車中(同32.6%)、二輪車(自動二輪、原付)乗車中(同18.0%)の順となっている(2009年時点)。
(4)年齢層別死者数をみると、65歳以上(全死者数の49.9%)、16~24歳(同10.6%)と50歳代(同10.6%)の順で多く、高齢化社会を反映して、65歳以上の高年層が全死者数の半数近くを占めている(2009年時点)。
(5)事故類型別死亡事故の発生状況をみると、出会い頭衝突(全死亡事故の16.0%)、ついでその他横断中(横断歩道・横断歩道付近以外での横断中)(同15.1%)、工作物衝突(同13.8%)、正面衝突(同11.1%)の順となっている(2009年時点)。
(6)法令違反別死亡事故の発生状況をみると、運転者では漫然運転(全死亡事故の15.3%)、わき見運転(同13.8%)、安全不確認(同10.7%)の順となっている。歩行者は全違反合計で2.5%と低い(2009年時点)。
(7)高速道路における自動車事故の発生状況をみると、総発生件数は1万1112件、死者数178人、負傷者数1万0927人となっている(2009年時点)。
[藤井秀登]
発生構造
政府発表の自動車事故統計をみると、「原因」としてあげられていることのなかには、単に「現象」にすぎないことが多い。事故の科学的な原因分析のためには、そこに現れた「現象」ではなく、それによってくるところのもっとも重要な要因=「本質」を把握することが重要である。
自動車事故を含む災害全般の要因分析については、佐藤武夫らによる『災害論』(1964・勁草(けいそう)書房)によって一般的な方法論が確立されている。佐藤らによると、災害を形成する要因として「素因」「必須(ひっす)要因」「拡大要因」の三つがある。「素因」とは災害の第一次要因であり、「この要因があっても災害はかならずしも発生しない」という。「必須要因」はその「素因を災害にしてしまう要因」である。すなわち「災害を発生させる素因があるから災害を発生するのではなく、災害を防ぐ手段を講じないか、不十分な手段しか講じないから災害が発生する」のであり、この災害防止手段の欠落を「必須要因」という。「このように必須要因で始まった災害は、その災害発生場所の条件によって、災害の強弱には大きな違いが現れる」。これを左右するのが災害の「拡大要因」である。以下、佐藤らの方法論を自動車事故に適用し、発生構造についてみてみよう。
〔1〕自動車事故の「素因」 一般に交通企業や政府の自動車事故の原因把握として、運転者や歩行者の個人的ミスや注意不足に求める。しかし、人間はつねに精神の緊張状態を持続することは不可能に近い。人間は機械ではないから、ときおり不注意の状態になることは必然的な生理現象なのである。したがって、個人的ミスや注意不足は、自動車事故にとっては「素因」にすぎない。この場合、交通手段(道路や自動車など)側に、「素因」を事故に発展させない要因、つまり事故防止手段が整備されていれば、人間のミスや不注意がそのまま重大事故に発展することは阻止される。現実には、道路や自動車側における事故防止手段が十分に整備されていない。これが「素因」を事故に転化・発展させてしまう「必須要因」というべきである。
〔2〕自動車事故の「必須要因」
(1)交通安全施設の不備 政府の交通安全施設などの整備状況(公安委員会分)をみると、1990年から2009年までの20年間における信号機、道路標識や道路標示の設置数の増加率は、それ以前と比べると減少傾向にある。標識等の整備は運転手の注意義務を増やすことによって事故防止を図ろうとするもので、対処療法の域を脱していない。信号機については、歩車分離式信号システム(歩行者と車両が通行できる時間帯を分離する)導入が図られている。歩車分離式信号システムは既存の信号機システムを変更するだけで使用でき、整備費が安価であるが、全国に約3100基しか設置されておらず、国内信号システム全体のわずか約2%にすぎない(2006)。
(2)自動車のもつ本質的欠陥 自動車は、個室性、戸口から戸口への移動の自由性など優れた機能をもつ交通手段であるが、他方、無軌道性であり、本来の意味で自動操縦車ではなく、人間が動かす手動車である。したがって、運転者にミスや不注意があると、自動的に制御・防止する構造機能がないから事故は必然化することになる。さらに、自動車生産の厳しいコストダウンのしわ寄せは「欠陥車」問題として表面化した。2009年度の届出件数は304件、対象車両は327万8296台となっている。
〔3〕自動車事故の「拡大要因」
(1)運転者の厳しい労働条件 交通企業に雇用される運転者の労働態様は、一般の労働者の労働態様とは異なる面が多い。自動車運転者の労働時間は、深夜労働を含む隔日勤務などの変形労働時間制を採用している場合が多い。また、その労働の大部分は道路上で行われ、現在のように交通渋滞、騒音、排ガスなどの道路環境のもとでは肉体的・精神的疲労は増すばかりである。さらに、運転者の賃金形態は水揚高、運搬量などに応じて支給される歩合給の占める割合が高く、運転者を刺激して恒常的な長時間労働になりやすく、ひいては運転者の疲労をもたらし、自動車事故誘発の要因となっている。
[松尾光芳]
(2)混合交通の道路構造 近代的な道路とは、歩道と車道が完全分離していなければならない。しかし、日本の道路は、人間といろいろな車種との混合交通道路がいまだ多く存在している。内閣府の「道路に関する世論調査」(2006)の結果をみても、歩道がまだ整備不十分であると答えた人が47.9%を占めている。このため歩行中の事故を発生させやすい。
[藤井秀登]
『『ジュリスト増刊総合特集8 交通事故――実態と法理』(1977・有斐閣)』▽『内閣府編『交通安全白書』各年版(財務省印刷局)』