井之上村
いのうえむら
[現在地名]御坂町井之上
金川扇状地の扇端に位置し、北西は成田村・国衙村。慶長古高帳に井上とみえ高四四〇石余、幕府領。ほかに国立大明神領七斗余。貞享二年采地簿(臆乗鈔)には旗本瀬名・佐野・内藤の三家がみえる。元禄郷帳では幕府領と佐野・内藤の二家領。宝永二年(一七〇五)甲府藩領となり享保九年(一七二四)幕府領石和代官支配。延享三年(一七四六)から田安家領(田安領知村高記・甲州代官付)。
井之上村
いのうえむら
[現在地名]篠山市井ノ上
上宿村の北東、篠山川支流の辻川が流れる。古くは法羅と称したという。弘安七年(一二八四)二月日の権長吏法眼某等連署譲状(八坂神社文書)に波々伯部保内の私領田畠のうちとして「壱反井上、本南御方」とみえる。正保郷帳に「井上村」とみえ、田高一四一石余・畠高二七石余。元禄郷帳では波々伯部を冠称する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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