朝日日本歴史人物事典 「井戸弘道」の解説
井戸弘道
生年:生年不詳
幕臣。通称は鉄太郎。石見守。弘化3年12月(1847)西丸小姓組番士より徒頭に進み,4年8月西丸目付,嘉永1(1848)年目付,海防掛。6年4月浦賀奉行。6月米国ペリー艦隊が浦賀に来航し国書捧呈を迫ったため,応接掛を命ぜられた。同役戸田氏栄と共に久里浜において幕府代表「Prince of Iwami」と称してペリーと会見,フィルモア大統領の将軍宛親書を受領した。同年12月大目付,海防掛,安政1(1854)年軍制改正用掛兼任となる。在職中死去。<参考文献>石井孝『日本開国史』
(酒田正敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報