井戸野村(読み)いどのむら

日本歴史地名大系 「井戸野村」の解説

井戸野村
いどのむら

[現在地名]旭市井戸野

泉川いずみがわ村の東、九十九里浜と椿つばき海の間に位置し、多古銚子たこちようし道が通る。井土野とも(元禄郷帳など)。中世は匝瑳南条そうさなんじよう庄に属したと思われ、神代本千葉系図には長岡系椎名氏の一流に井戸野氏がみえ、長岡胤貞の嫡子として井戸野孫六景胤がおり、又五郎に継いでいる。御城みじように井戸野館跡があり、土塁(一部)に囲まれた単郭方形の遺構がある。元亀二年(一五七一)一二月二六日の宥賢印信紹文(石橋家文書)に総州井戸野延寿えんじゆ寺とみえ、当地の延寿寺において宥賢が弟子の宥珠に秘密許可第三重印信を伝授している。元和三年(一六一七)の柑子木数帳(谷本文書)に井戸野之郷とあり、近郷五〇村の寺社や有力者に柑子木を植えさせたが、当郷は最も多く、不動院・金照院の四本をはじめ慈正じしよう院・正光しようこう院・阿弥陀堂・なみ木坊・寺之坊の寺堂関連、五良兵衛・清右衛門尉・長悦ら一一名の百姓がみえる。


井戸野村
いどのむら

[現在地名]大和郡山市井戸野町

白土しらつち村北方に所在環濠集落。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳によると、西井殿にしいどの庄があり、また荘内に「福田院田二反」「伝法院田一町二百四十歩」のあることを記し、現在、小字フクデン・インデンが残る。建永元年(一二〇六)六月の大和一品位田田数注文(東大寺文書)には東井殿庄中井殿庄と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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