朝日日本歴史人物事典 「井田譲」の解説
井田譲
生年:天保9.9.22(1838.11.8)
明治期の陸軍軍人,政治家。大垣藩(岐阜県)藩儒井田徹助の長男。文久3(1863)年西洋砲術教授方。かねて,江戸幕府の政権返上を唱え,明治1(1868)年には佐幕に傾く藩論をおさえるのに活躍した。生野県知事,大蔵大丞などを経て,4年陸軍少将となり,7年広島鎮台司令長官,その後陸軍省第1,4局長を歴任した。西南戦争(1877)では徴募新撰旅団の編成,練兵に当たり,一時陸軍卿代理も務めた。オーストリア,フランス各駐在全権公使ののち,16年から元老院議官に就任した。21~22年には条約改正に反対し,保安条例の廃棄を試み,谷干城,三浦梧楼や日本新聞社との交流も深かった。22年男爵。<参考文献>『大垣市史』,「井田譲関係文書」(国立国会図書館蔵)
(田浦雅徳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報