井田野古戦場(読み)いだのこせんじよう

日本歴史地名大系 「井田野古戦場」の解説

井田野古戦場
いだのこせんじよう

井田や鴨田かもだの東南辺りを井田野といい、戦国期にはしばしば今川勢・織田勢の戦場となった。「三河聡視録」に「里人ノ語ニ井田埜いだのノ最初ノ合戦ハ首実験ノ辺、地高ナル所ノ由。何レニモセヨ度々ノ戦場ナル故、何年ノ戦ハ爰々トイフコトハ不分明也」とある。「三河堤」の井田野合戦の記には、松平親忠軍と尾張の織田信秀軍が井田野郷において合戦。その後井田野郷に討死した敵味方の魂魄が叫喚し怪異なことが多くあったのでその骸骨を拾い、埋めて千人せんにん塚と名付けた。以来叫喚が静まったことから魂魄野こんぱくのともいうと伝える。

「三河聡視録」は鴨田村記の条で「先年大樹寺表ノ方新道ヲ開キタル時、大勢ノ人夫ヲ以テ道造リアリシニ少シ地ヲ掘ルト人ノ横ニ臥タル儘ノ至テ古キ骸骨イクラトモナク出タリト、其時マサニコレヲ見タル者今文政四巳歳井田村ニ存生ニテ物語也、是皆往古戦死ノ輩ヲ山ニ横ニ捨テ其儘土ヲ掛タル物ト見エタリ、大樹寺ノ山ニワ都テ戦死ノ骸骨ノ埋リアル事其数ハカリガタシト云」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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