井野目堰
いのめぜき
小川から取水する用水路。延長三・五キロで、八反田川北岸の平野・余目地区の一五〇ヘクタールを灌漑する。正保二年(一六四五)米沢藩主上杉景勝の家臣山口庄右衛門重久が当時未開発の佐場野・大笹生原・入江野原の開発を計画、中野村堰場で小川の水を取入れる井野目堰開削を願出た。同四年許されて工事にかかり、万治二年(一六五九)三月に完成した。近隣の百姓は堰の完成を願って井戸水を用いないことを誓い、工事に協力したという。延長一千八七六間、うち隧道二一八間の大工事であったが、当堰によって一五〇町余が開かれ、井野目村も立村した(以上「井野目堰誌」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 