…日本の古文書の一様式。単に〈交名〉ともいう。人名を書き連ねた文書,人名リスト。…
…しかしそれ以前の一木造や乾漆像,塑像にもまったくないわけではなく,たとえば平安時代の僧奝然(ちようねん)が宋から将来したものとして著名な京都清凉寺の釈迦如来立像は背中に内ぐりをつくってその中に銅銭,文書,五臓(内臓のつくりもの),念珠などがおさめられている。像内納入品には,小仏像,舎利,五輪塔,法華経や般若心経などの経典,真言など,いわば仏像に魂をいれるといった意味あいのもののほかに,願文や結縁者の交名(きようみよう),さらには願主とその縁者の故人らの消息,遺髪,日用品など,願主たちの祈りが仏像とともに永遠に残ることを願ってこめたと考えられるものがある。 胎内文書は多く後者に属するもので,造立の趣旨や経緯をのべたり,納入品を書きあげ,また,造立に結縁した人々の氏名を記した願文の類が大半であるが,鎌倉時代以降には,しばしば勧進によって造仏することがあり,こうした場合には,数多くの結縁者の氏名を書き記した交名が納入されることも多い。…
…まだ十分に解明されていないが,神人が黄衣を着用し,狩人が蓑帽子をかぶったように,遍歴民はその衣装においても平民と異なる姿をしていたと思われる。
[身分の確定]
院政期以降,職能民を組織しようと競合する諸権門,権門との結びつきを求めて流動する職能民の相互の動きのなかで,供御人交名(きようみよう),神人交名などによって,職人の身分は確定する。これらの人々は自然発生的な共同体を基盤としつつ,それぞれの職能神などを中心とした職能的な共同体をなしていた。…
… これらの,供御人となった商工民,芸能民,あるいは荘園に対する天皇家の支配は,古代末期から中世初期にかけて,摂関家をはじめ大寺社との激しい競合を通じて確保されたのであるが,延久(1069‐74)以後,頻々と発せられた公家新制―荘園整理令,神人(じにん)・寄人(よりうど)整理令によって,天皇は荘園の廃立,神人,寄人の認可,停廃をみずからの意志の下に置き,荘園,公領をこえたより高次の権威を確立しようとした。大田文(おおたぶみ)や供御人,神人,寄人の交名(きようみよう)はその前提として作成され,大田文に記載された田地は公田と呼ばれて,大嘗祭,伊勢神宮の役夫工米(やくぶくまい)など国家的な行事,儀礼に必要な費用はこの公田を基準に,公事(くじ),一国平均役(いつこくへいきんやく)として賦課された。また,大寺社の神人,寄人となった商工民,芸能民に対しても,天皇は公役賦課権を保持していたのであり,国司,諸国追捕使を通じて,交名にのせられた〈武勇の輩〉にも軍役を賦課し,これを動員したのである。…
…しかし以上のごとき名帳はそのいずれも実例が伝存せず,はたして名帳と称することによって特定される一定の文書様式が存したか否かは結論できない。かかる意味での名帳は,中世には一般に交名(きようみよう)と称されている。公家新制において諸国神人(じにん)の交名を朝廷に提出することが命じられているのは,古代に朝廷へ提出した文書としての名帳の性格に相通ずるものがある。…
※「交名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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