享保飢饉餓死者供養経塚(読み)きようほうききんがししやくようきようづか

日本歴史地名大系 「享保飢饉餓死者供養経塚」の解説

享保飢饉餓死者供養経塚
きようほうききんがししやくようきようづか

[現在地名]油谷町大字角山 多聞

角山の多聞かどやまのたもんにある山光さんこう寺門前路傍にある。享保一七年(一七三二)蝗害のため防長両国一帯の秋の収穫は大打撃を受けた。角山村近辺諸村は元来水利に恵まれず、干害もこれに加重した。食糧の蓄えもない小農は飢餓に陥り、疫病も流行して多数の餓死者を出した。餓死者の百年忌にあたる天保二年(一八三一)藩府は代官所ごとに料物を交付して供養を行った。山光寺は村内と隣村後畑うしろばた村の餓死者亡霊をまとめて供養し、経塚を立てた。石造で高さ八〇センチ、正面に「浄土三部妙典一字一経石塔」、右側に「享保十七子年虫餓死角山後畑両村九百八十余人惣塔」、左側に「于時天保十一子三月山光寺十世現住浮徳謹草」と刻んで、悲惨な享保飢饉を証言する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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