京ノ峯遺跡(読み)きようのみねいせき

日本歴史地名大系 「京ノ峯遺跡」の解説

京ノ峯遺跡
きようのみねいせき

[現在地名]松山町泰野 京ノ峯

字京ノ峯の独立丘陵西端に位置し、標高約一七〇メートル。平成二年(一九九〇)から同三年に発掘調査が行われた。縄文時代早期から中世にかけての遺物遺構が検出され、とくに弥生時代中期の遺構が注目される。検出された遺構には円形周溝墓二〇基・方形周溝墓二基・祭祀土坑三基がある。円形周溝墓の規模は直径四―一〇メートルで、とくに四―六メートルまでのものが多い。方形周溝墓の規模は一辺約七メートルである。埋葬施設の掘込みの形態は長方形で、その平均の長さ二メートル×〇・五五メートル、長軸は東―西方向を向くものが多い。円形周溝墓・方形周溝墓は墳丘をもたず、陸橋部がない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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