日本歴史地名大系 「京善村」の解説 京善村きようぜんむら 福井県:吉田郡永平寺町京善村[現在地名]永平寺町京善・寺本(てらもと)永平寺川流域の谷間に位置し、北の諏訪間(すわま)村境付近から西へ恋坂(こいさか)峠(現越坂峠)を越えると吉田郡下吉野(しもよしの)村(現松岡町)に至る。枝村として寺本があった(越前国名蹟考)。天文一四年(一五四五)一〇月二二日付志比庄下郷闕所分内作職注文(永平寺文書)に、「善妙分之内壱貫文」として「京善村四郎左衛門」とみえ、永平寺領があった。慶長六年(一六〇一)九月九日付山川菊松宛の結城秀康知行宛行状(山川家文書)には「志比領 □(教カ)善寺本村」と記され、同一一年頃の越前国絵図では志比下(しひしも)庄内に含まれていたと思われる。正保郷帳によると、田方四六七石・畠方八六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by