京町堀川
きようまちぼりがわ
西横堀川から直角に西に分流、江戸堀川の南を西流し海部堀川と合流して百間堀川に注いでいた。近年の研究によると元和六年(一六二〇)の開削で、伏見の京町(現京都市伏見区)から移住してきた町人たちによって開削されたので伏見堀川ともよばれた(大阪市史)。両岸一帯の地域を京町堀とよぶ。
昭和三二年(一九五七)埋立てられて消滅したが、かつての流路は現在の京町堀一―三丁目・靭本町一―三丁目に含まれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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