日本歴史地名大系 「亭子院跡」の解説
亭子院跡
ていじいんあと
亭子院は宇多上皇の御所の一つ。「拾芥抄」に「七条ノ坊門北、西洞院西二町、寛平法皇御所、元東七条ノ后温子家」とある。しかし同書東京図は七条坊門以南に描き、七条坊門北は南の誤りとする。この二町は現朱雀院
遷
御東七条宮
」、「園太暦」同七年六月八日条に「於テ
東七条ノ宮ニ
宇多天皇は退位後この院を御所としたため、「大鏡」が天皇を「亭子のみかどゝ申き」と記し、「皇胤紹運録」など諸系図や伝が「号亭子院
」と記すように、宇多自身をも亭子院とよぶ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報