改訂新版 世界大百科事典 「人名制」の意味・わかりやすい解説
人名制 (にんみょうせい)
江戸時代,讃岐塩飽(しわく)諸島(丸亀市)にみられた人名の制度。人名とは1590年(天正18),豊臣秀吉から検地高1250石の領知を認められた塩飽島中船方650人のことで,その数は本島の泊,笠島浦をはじめ塩飽諸島の20の浦々に90から7の範囲で配分されていた。実際には分割所持する場合が多く,株化して世襲譲渡された。人名は徳川幕府の御用船方として船役・加子(かこ)役を負担する代りに島の領知権を安堵され,周辺海域の漁場の権益も保証された。島治は人名の自治組織(島中とよぶ)にゆだねられ,複数の年寄と年番庄屋が勤番所において執務・勘定し,収益を役料・人名配当等にあてた。島役は人名数の多い笠島,泊浦から多く出たが,はじめ世襲制,のち人名による入札制に変わった。人名株を持たぬ者は毛頭(もうと)と呼ばれ,役負担のない代りに田畠・漁場の領知権は認められていなかった。毛頭は耕地を持たぬ無高百姓をさす間人(もうと)と同義であろう。本島の小坂浦は人名株を持たぬ毛頭のみの純漁村で,漁業税等を納入して漁業を営んでいたが,1868年(明治1)維新で人名の特権は解消したとして,人名諸浦と衝突,逆に焼打ちにあった。これを小坂騒動とよぶ。その後人名の財産は大幅に縮小されたが,なお遺制は存続している。
執筆者:五味 克夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報