今日では国民主権とほぼ同じ意味に用いられている。フランス革命時には、国民主権と人民主権という概念には重要な違いがあるものと考えられていた。たとえば、1789年の「人権宣言」や「1791年憲法」では、主権は国民(ナシオン)にあるとされ、1793年のジャコバン憲法では人民(プープル)にあるとされていた。前者は、政治は「財産と教養ある人々」が議会を通じて全国民を代表し、一般庶民は統治能力をもたないという政治思想を表現したものといえる。したがって、この国民主権論は、ルソーの「一般意志」に基づく全構成員による政治という人民主権論から導出可能な、普通選挙制や直接民主制的政治制度の確立の方向を否定した概念であったといえよう。しかし、代表(間接)民主制をたてまえとする現代資本主義国家においても、普通選挙制とそれにいくつかの直接民主制的規定を保障し、政治参加の拡大を図っているので、今日では国民主権と人民主権という概念にみられた鋭い対立は緩和・解消されつつあるといえよう。
[田中 浩]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 第2の考え方は,国民主権を政治に参加できる年齢に達した国民(市民)の集まりとしての〈人民〉が国家権力をもっていることを意味し,そのような人民によって人民のために政治が行われることを求める原理だとするものである。これは,フランス革命のなかでブルジョアジーにも従属する立場にあった民衆の自覚的な部分(戦闘的なサンキュロット)から〈人民(プープルpeuple)主権〉として唱導されていたものである。人民は,その構成員からも明らかなように,自分で直接に国家権力を行使できる。…
…しかし,身分制議会は,一般意思を最終的に決定できる地位にはなく,主権者たる国王の諮問機関にすぎなかったので,近代的意味での国民代表府ではなかった。
[国民主権から人民主権へ]
議会が国民代表府として一般意思を決定するという考え方は,近代市民革命のなかで憲法に取り入れられた。そこでは,同時に,議員は全国民の代表であって特定の地域や身分などの代表ではない。…
…そして,この両面にわたる手段は軍事警察の暴力の集中独占であった。 このように元来絶対君主の領域内における排他的な支配を正当化した主権の観念は,国家を実力による支配対象から,被治者の合意による共同社会へと組み替えようとする思想と運動とによって逆転されて,ついにルソーにおける人民主権の主張と,フランス革命によるその確認にいたる。人民主権の観念は近代国家の民主化に道を開くものであったが,君主という自然人から人民という集合的人格にその主体がおきかえられながら,しかも主権概念自体は維持されたことは重要である。…
※「人民主権」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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