近代国家において人または国民の基本的な権利を宣言・保障する一群の成文規定をいい,多くは憲法典の一部となっている。権利宣言または権利章典ともいう。イギリスのマグナ・カルタ(1215)やのちの権利請願(1628),人身保護法(ヘビアス・コーパス,1679),権利章典(1689)は,封建領主の要求を国王に認めさせ,あるいはイギリス人の伝統的な権利と自由の尊重を要求する文書であり,人間として当然に有する人権を宣言するものではなかった。もちろん,これらの文書は国王の絶対主義的権力から個人の権利を守護するためのものであって,近代の人権宣言の誕生に大きな影響を与えた。
近代の人権宣言は,18世紀の市民革命の過程において,まずアメリカ(バージニア権利章典,1776),ついでフランス(人および市民の権利の宣言,1789)で成立する。そこでは,人はすべてひとしく生命,自由,財産に対する生れながらの権利を有するという自然法思想に基づき,信教の自由,言論・出版の自由,人身の自由,財産権の不可侵などが国家以前の自然権として保障されている。19世紀に入ると,人権宣言は成文憲法の普及とともにその一部として各国で制度化されるが,その権利は人間の生来の権利ではなく,国家ないし国王より恩恵的に与えられた国民または臣民の権利という性格のものとなり,その内容も参政権のように国家の存在を前提とし,国家によってつくり出されたものが追加される。さらに20世紀になると,資本主義経済の発達によって生じたさまざまの社会的矛盾を克服し,実質的な自由と平等を確保するために,経済的・社会的弱者に対し社会権または生存権的基本権が保障されるようになる。
日本では,明治維新以来,欧米の自由・立憲主義思想の影響をうけて,人権尊重の思想と運動が展開されるようになる。明治憲法は日本でのはじめての人権宣言ともいうべき臣民の権利を保障する諸規定を含んでいたが,それは人が生れながらに有する権利を確認するというよりも,天皇から恩恵として与えられた外見的人権宣言の名にふさわしいものであった。日本国憲法の成立は,〈言論,宗教および思想の自由並びに基本的人権の尊重〉の確立を要求していたポツダム宣言の受諾に由来しており,この憲法により固有の意味での人権宣言が日本に生まれるのである。すなわち第3章〈国民の権利及び義務〉(10~40条)は自由権,平等権,社会権,受益権および参政権よりなる現代の基本的人権をおもな内容としており,20世紀中葉のもっとも完備した人権宣言の一つに数えられる。
第2次世界大戦後,人権と基本的自由の尊重を主要目的の一つに掲げた国際連合が成立して以来,個人に対する国家の権力行使を国際的に抑制し,積極的に人権の擁護を国家に求めていく人権の国際的保障の動きが出てきた。1948年に国連総会は世界人権宣言を採択して,諸国が達成すべき共通の基準を示した。66年には法的拘束力をもつ三つの条約からなる国際人権規約が採択され,日本を含む多くの国で施行されている。
→基本的人権
執筆者:阿部 照哉
単に〈人権宣言〉という場合,とくにフランスで1789年8月26日に憲法制定国民議会によって採択された全17ヵ条の宣言をさすことがある。正確には〈人および市民の権利の宣言Déclaration des droits de l'homme et du citoyen〉という。三部会に召集された議員の多数は,6月17日以降単一の国民議会の設立を宣言した第三身分の会議に合流し,6月30日からは正式に〈憲法制定国民議会Assemblée nationale constituante〉の名称のもとに王国の憲法の制定事業にとりかかったが,国王と人民との関係等国家形成上の諸原則を定める前に,国家を形成する目的について先議する必要があるとされた。国家は人が国家以前の自然状態において有している諸権利を保全するためにその手段として形成されるのであるから,憲法の制定に先だって人の自然的権利が明らかにされなければならない,という論理による。議会は,三部会への代表派遣に際して各地方の選挙母体が作成しベルサイユに送った陳情書を格好の素材として新しい権利観念を模索し,諸案を経て逐条的に宣言を採択した。同宣言は,政治的結合すなわち国家形成の目的たる自然的権利として自由,所有,安全,圧制への抵抗の四つを掲げ(2条),それぞれの具体的内容として人身,意見,表現の自由(7,10,11条),所有の不可侵(17条),罪刑法定主義,無罪の推定(8,9条),抵抗の正当性(16条)等を宣明するとともに,国家形成上の最も基本的な原則として国民主権(3条),法律の支配(6条),武力(12条),租税(13,14条),行政報告(15条)について規定した。宣言の表題にいう〈人の権利〉は前者=自然的権利を,〈市民の権利〉は後者をさす。なお,所有権の不可侵は今日に至るまで同宣言の最も有名な条項であるが,16ヵ条が制定され議事がいったん終了したのちに封建諸税の無償廃止に反対するねらいから一議員によって提案され,ほとんど審議なしに追加されたといういきさつもある。
執筆者:稲本 洋之助
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フランス革命初期、1789年8月26日、国民議会で採択され、「1791年憲法」の前文となった宣言。正式には「人間および市民の権利宣言」。根本の思想は自然法とそれに発する自然権思想で、18世紀啓蒙(けいもう)思想の影響を受け、また直接にはアメリカ合衆国の独立宣言や、その諸州の権利章典などを範としている。「市民」とは、政治的・倫理的共同体を構成する公民的存在を意味する。多くの草案を経て成立した宣言は、これを発する主旨を述べた前文と、本文17条とからなる。各条文の要点は次のとおりである。
第1条では人間は自由で権利において平等に生まれ、かつ生きること、第2条では自由、安全や所有権、圧制に対する反抗権のごとき自然権の保全、第3条では主権在民、第4条では自由の意味、第5条から9条までにおいては法の意義、法の作成、法の前の平等、法の遵守など、第10条では宗教上の寛容、第11条では思想および言論の自由、第12条では諸権利を保障するための公権力の必要、第13条では租税の不可欠とその平等、第14条では租税に関しての権利と義務、第15条では公務員に対し行政上の報告を求める権利、第16条では権力の分立、第17条では所有権の神聖かつ不可侵であることなどが述べられている。
人権宣言は「アンシャン・レジーム(旧制度)の死亡証書」と評されるように、近代市民社会の原理を示す不朽の文献であり、後世への影響は少なくない。
[山上正太郎]
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(宮崎繁樹 明治大学名誉教授 / 2007年)
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正確には,「人と市民の権利の宣言」。1789年8月26日フランス国民議会が採択した宣言。憲法制定に先立ち,あらかじめその基本原理を提示する意図のもとに制定され,91年憲法に前文として付された。前文と17カ条からなり,第1条「人は自由かつ権利において平等なものとして生まれ,存在する」に始まり,第2条では自由,所有,安全,圧制への抵抗を自然権とし,政治体の目的をその維持に求め,以下,国民主権,一般意志の表現としての法の支配,権力分立などの政治体の組織原理,法の前の平等,意見とその表現の自由と限界などの市民の権利を規定している。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…政府が信託に違反して人民の権利を奪うときは,人民に抵抗権がみとめられる。世界最初の人権宣言は,1776年6月12日に採択されたアメリカのバージニア権利章典である。そこでは,万人が生まれながらにしてひとしく自由かつ独立しており,一定の生得の権利を有するとされ,そのような権利として財産の所有とともに,幸福追求の手段を伴う生命,自由の享受があげられている。…
… 同年8月26日,それまでに達成された革命の成果を要約してその諸原理を明示するために,議会は〈人権および市民権の宣言〉を採択した。この人権宣言は,人間の自由(思想,言論,信教の自由など),権利の平等,国民主権,所有権の絶対,などを明らかにしたものであり,旧体制が消滅したことを宣言するとともに,革命の理念を明示したものであった。しかし,この宣言によって示された諸原理をどのような形で具体化するかについては,二つの方式が可能であった。…
※「人権宣言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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