人民戦線内閣(読み)じんみんせんせんないかく

山川 世界史小辞典 改訂新版 「人民戦線内閣」の解説

人民戦線内閣(じんみんせんせんないかく)

人民戦線の発展の結果フランス,スペインでは人民戦線内閣が誕生した。

①〔フランス〕1936年の総選挙で,社会党急進社会党共産党を中心とした左翼諸党が勝ち,6月,社会党党首ブルム首班とする内閣が成立した。同内閣はおりから起こった未曾有の工場占拠の大波を解決し,団体協約制,週40時間労働,有給休暇などの改革をなしとげ,「フランス版ニューディール」と称されたが,不況克服に成功せず,上院反抗にあい1年あまりで退陣した。後継のショータンダラディエ両内閣は人民戦線内閣とは名ばかりであった。

②〔スペイン〕1936年総選挙の選挙連合である人民戦線協定にもとづき誕生した内閣。首相はアサニャ。協定には共和左翼,共和同盟,共和国民党,社会労働党,労働者総同盟,社会主義青年国民連合,共産党,サンディカリスト党,マルクス主義統一労働党などが参加。農地,教育,軍の改革を試みたが,同年7月に起きたスペイン内戦で頓挫した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「人民戦線内閣」の解説

人民戦線内閣
じんみんせんせんないかく

人民戦線が発展して成立した内閣
【スペイン】1936年1月,左翼共和派・社会党・共産党系の労働組合,民主派団体の間に人民戦線協定が成立。2月の総選挙で勝利を収め,共産党も参加した人民戦線内閣が組織されて政治・社会の改革に着手した。7月にフランコ将軍が反乱を起こして2年8か月の内戦となり,1939年3月崩壊した。
【フランス】1934年7月,社会党・共産党の統一行動協定が成立し,35年6月急進社会党を加え民主派諸団体も参加した人民連合の結成をみた。1936年1月に人民戦線綱領が作成され,春の総選挙では人民戦線が勝利し,6月に社会党のブルムを首班とする人民戦線内閣が共産党の閣外協力の下に成立,右翼団体の解散,週40時間労働制など共同綱領の具体化にはいった。しかし,労働攻勢の高まりに大資本は反発し,スペイン内戦に不干渉政策をとり,急進社会・共産両党の反目も強まって,1938年11月に崩壊した。

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世界大百科事典(旧版)内の人民戦線内閣の言及

【人民戦線】より

…これは創設以来世界革命を目標に掲げる国際機関として活動してきたコミンテルンにとって,最も重大な政策転換であり,国際的に大きな影響を及ぼすものであった。 36年5月議会選挙で人民戦線派が勝利を収め,6月4日社会党のレオン・ブルムを首相とする人民戦線内閣が成立した。この勝利は,新たに開かれた政治的・社会的な変革の可能性に期待する人々のエネルギーの解放を伴った。…

※「人民戦線内閣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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