フランスの政党。正式には急進共和・急進社会党Parti républicain radical et radical-socialisteといい,急進党とも略称される。1901年6月23日,共和主義改革大行動委員会が組織した大会で急進主義の諸グループを結集して成立。議員グループという枠をこえて組織されたフランスで最初の国民的政党として,第三共和政期に重要な役割を演じた。地方の小ブルジョアジーを基盤とする急進党は,フランス革命の遺産を継承して共和制の枠内で漸進的進化を行うことをうたい,教育改革と国家の非宗教化に力点を置いたが,私有財産制擁護の立場から,社会主義とりわけ共産主義とは対立し,しばしば右翼・穏和派の政府に参加した。しかし他方では,王党派や教権主義的反動に対抗して“左翼に敵なし”とする伝統も強く,社会党と選挙協定を結び,社会党の支持に依存する急進党内閣をつくったこともある。党は結党当初から政府に参加し,02-05年にはコンブÉmile Combesが,11-12年にはカイヨーが内閣を組織したが,第1次大戦後初の総選挙では国民ブロックに敗北した。24年には左翼連合の勝利にともない,エリオが社会党の閣外協力を得て組閣したが,財界の抵抗はフラン価の低落を引きおこした。続く左翼諸政府もフランの低落をとめられず,26年にはポアンカレの国民連合内閣に道を譲った。32年,第3次エリオ内閣はふたたび財政危機にみまわれ,内閣危機がつづいたあと,34年1月組閣したダラディエ内閣は2月6日の極右翼の暴動によって倒され,ドゥーメルグの国民連合内閣が成立した。これにはエリオら6名の急進党員が参加したが,極右翼に強い姿勢を示さない政府に対する不満が強まり,35年には党はダラディエの主導下に人民戦線に参加した。36年6月誕生したブルムの人民戦線内閣は,社会党と急進党を主力として構成され,ダラディエは副首相兼陸相として入閣した。しかし38年自ら首相となったダラディエは,ヒトラーに屈してズデーテンをドイツに引き渡すミュンヘン協定に調印し,人民戦線を瓦解させた。急進党は40年6月の敗戦によって分裂,一部はビシー政府に協力し,一部はレジスタンスに参加した。全国抵抗評議会の初代議長ムーランJean Moulin(1899-1943)は急進党員であり,マンデス・フランスらはド・ゴールに協力した。しかし共産党,社会党,人民共和派3党が支配した解放直後は,第三共和政への批判的空気が強く,第四共和政憲法案に反対した急進党は最初の総選挙で惨敗した。その後冷戦の展開にともない多数派が分裂して共産党が閣外に放逐されると,急進党はキャスティング・ボートを握る立場に立ち,マリーとクーユは首相の地位を手にしたが,党の老齢化・右傾化は著しく,反社会主義の姿勢は強められた。この傾向に反発する党内の若手はマンデス・フランスの下に結集し,55年の臨時大会でマンデス・フランスは指導権を握った。しかし彼の党改革は失敗に終わり,第五共和政の開始とともにマンデス派は党外に排除された。
執筆者:山極 潔
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フランスの政党。正式の党名は急進共和・急進社会党Parti républicain radical et radical-socialisteで、第二次世界大戦後は急進党と略称される。1901年に結成され、自由民主主義を奉じ、戦間期フランスのもっとも有力で代表的な政党(平均得票率は17.3%、平均議席数は131)。結党前の急進主義者の運動は、七月王政下に始められた。フランス革命のジャコバン派の伝統を継承し、文字どおりの急進派で、二月革命に加わり、第二帝政下に戦い、第三共和政樹立に決定的な役割を果たした。彼らは個人の自由、反教権主義、教育の民主化を掲げて戦ったが、その政治思想(急進主義)の浸透につれて、1870、1880年代に極左翼にあった党は、しだいに右に移り、20世紀に入ると、党名に反して穏健な中央党派に変わる。E・エリオは戦間期と第二次世界大戦後の党を支配した。党は地方の農民や小ブルジョア層を基盤とする名望家政党で、党員、活動家が少なく、組織も規律も緩い。しかし、交渉と妥協に長じた党幹部は、次々と議会連合を組み、多数派に加わった。戦間期に、ついで1947年春以降に、党はほとんどの内閣に参加し、多くの首相、閣僚を出した。しかし、個人の財産や自由企業を擁護する経済・社会政策は党の保守性を強め、昔日の党勢も活力も失われた(1945~68年の平均得票率は8.6%、平均議席数は56)。1955~57年のP・マンデス・フランスの左転換の試みも成功せず、しだいに衰弱する。ただ、1971年に分裂した左派は、左翼急進党を結成し、社会党と結んでいる。
[横田地弘]
急進党は、1978年にジスカール・デスタン大統領によって設立された政党連合組織のフランス民主連合(UDF)に参加し、その構成政党の一つとなった。その後、2002年の大統領選挙で当選したシラクの与党連合である国民運動連合(UMP)が結成されると、急進党はUMPに移った。2007年にはUMP総裁のサルコジが大統領に当選している。
[編集部]
『土倉莞爾著『フランス急進社会党研究序説』(1999・関西大学出版部)』
フランスの政党。正確には急進共和および急進社会党。ドレフュス事件における進歩的共和派を広く結集して1901年に結成された。党名や人民戦線への参加などから左翼政党に数えられるが,実際は中産階級政党であり,議会主義,反教会権力,反独占,個人主義と私有財産制擁護,重要産業国有と社会・労働立法の整備による資本主義の修正などを主張する。05年の国家と教会の分離のほかには経済や労働などの内政面ではこのあいまいさのため成果をあげなかったが,この党の平和外交の伝統はエリオ,ダラディエからインドシナ休戦(54年)を実現したマンデス・フランスに受け継がれた。
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