ダラディエ(読み)だらでぃえ(その他表記)Edouard Daladier

デジタル大辞泉 「ダラディエ」の意味・読み・例文・類語

ダラディエ(Édouard Daladier)

[1884~1970]フランス政治家急進社会党総裁。1933、1934年首相。1935年、人民戦線内閣参加。1938年に再度首相となり、ミュンヘン協定調印。大戦勃発辞任

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ダラディエ」の意味・読み・例文・類語

ダラディエ

  1. ( Édouard Daladier エドワール━ ) フランスの政治家。急進社会党党首。人民戦線結成に尽力した。一九三八年、ナチス‐ドイツに対する宥和政策破綻(はたん)して、四〇年首相を辞任。第二次大戦後、急進社会党名誉総裁。(一八八四‐一九七〇

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダラディエ」の意味・わかりやすい解説

ダラディエ
だらでぃえ
Edouard Daladier
(1884―1970)

フランスの政治家。リセ歴史学教授から政界に入り急進社会党の領袖(りょうしゅう)となる。閣僚歴任したのち、1933年と1934年の二度にわたって首相となったが、スタビスキー疑獄を口実とする右翼騒擾(そうじょう)事件(いわゆる2月6日事件)で多数の死傷者を出した責任を問われて退陣した。その後、党内で人民戦線支持を明らかにして1936年党総裁に選ばれた。人民戦線諸内閣で陸相を務めたのち、1938~1940年首相を務め、その間の1938年9月ミュンヘン協定に調印し盟邦チェコスロバキアを見殺しにした。ビシー時代には対独敗戦の責任者として裁判にかけられたが、勇敢に第三共和政を弁護して裁判中止に追い込んだ。戦後ふたたび急進社会党総裁を務めた。

[平瀬徹也]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ダラディエ」の意味・わかりやすい解説

ダラディエ
Édouard Daladier
生没年:1884-1970

フランスの政治家。歴史学の教師から政界に入り,急進社会党総裁。1933年首相。翌年1月にも首相となったが,二月六日事件(極右派の暴動)で辞職。35年には人民戦線への急進社会党の参加を推進し,歴代人民戦線政府では陸相をつとめた。38年には首相としてミュンヘン協定に調印。40年3月,フィンランド支援に失敗して辞職した。休戦後ビシー政府に捕らえられ,戦後,第2次制憲議会で返り咲いた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダラディエ」の意味・わかりやすい解説

ダラディエ
Daladier, Édouard

[生]1884.6.18. カルバントラス
[没]1970.10.10. パリ
フランスの政治家。 1919年下院議員。 24年植民地相,以後公共事業相,陸相を歴任。 33年首相兼陸相,34年首相兼外相。急進社会党左派首領として 35年人民戦線結成に参加。 36~37年副首相兼国防相,38~40年首相。 38年9月 A.ヒトラーの要求に屈し,ミュンヘン協定に調印。 39年9月ドイツに宣戦布告。 40年ビシー政府に逮捕,投獄され,43~45年ドイツに連行,拘禁。 45年釈放。 46年下院議員。インドシナ戦争に反対し P.マンデス・フランスを積極的に支持し,56年議会急進派の指導者となった。 58年第五共和政に反対し,下院議員を辞任。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ダラディエ」の意味・わかりやすい解説

ダラディエ

フランスの政治家。急進社会党左派に属し,軍事通で,3度内閣を組織,陸相,外相等も歴任。人民戦線結成に参加したがミュンヘン会談でヒトラーに屈した。第2次世界大戦中はビシー政府によって逮捕され,ドイツに移送。戦後は下院議員(1946年―1958年)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ダラディエ」の解説

ダラディエ
Édouard Daladier

1884~1970

フランスの政治家。1933年,34年,38~40年の三たび首相を務めた。36年急進社会党党首となり,同党を率いて人民戦線に参加し,のちミュンヒェン協定に調印。フランス敗戦後ドイツに抑留された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ダラディエ」の解説

ダラディエ
Édouard Daladier

1884〜1970
フランスの政治家
1924年以来,十数回入閣。首相3回(1933,34,38〜40)。1936年から急進社会党総裁として人民戦線の結成に参加したが,ミュンヘン会談でヒトラーに譲歩。第二次世界大戦の勃発とともに首相を辞し,フランスの敗北後,ヴィシー政府に逮捕された。戦後,国民議会議長・党名誉総裁となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のダラディエの言及

【急進社会党】より

…フランスの政党。正式には急進共和・急進社会党Parti républicain radical et radical‐socialisteといい,急進党とも略称される。1901年6月23日,共和主義改革大行動委員会が組織した大会で急進主義の諸グループを結集して成立。議員グループという枠をこえて組織されたフランスで最初の国民的政党として,第三共和政期に重要な役割を演じた。地方の小ブルジョアジーを基盤とする急進党は,フランス革命の遺産を継承して共和制の枠内で漸進的進化を行うことをうたい,教育改革と国家の非宗教化に力点を置いたが,私有財産制擁護の立場から,社会主義とりわけ共産主義とは対立し,しばしば右翼・穏和派の政府に参加した。…

【スタビスキー事件】より

…ロシア生れのユダヤ人スタビスキーSerge Alexandre Stavisky(1886ころ‐1934)がひきおこしたフランスの疑獄事件。1933年12月末,バイヨンヌの公設質屋を舞台とするスタビスキーの詐欺事件が報道され,時の植民地相ダリミエら数人の政界人やジャーナリストが事件に関係していることが判明した。この詐欺事件そのものはそれほど大規模なものでもなく,直接の被害者も保険会社などの法人で大衆ではなかったが,大不況という状況のもと,事件を議会主義と急進社会党政府に対する攻撃材料に利用しようとするアクシヨン・フランセーズの扇動は功を奏し,34年1月末,事件の処理を誤ったショータン政府を倒壊させた。…

※「ダラディエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android