人生 幸朗
ジンセイ コウロウ
昭和期の漫才師 関西芸能親和会長。
- 生年
- 明治40(1907)年
- 没年
- 昭和57(1982)年3月4日
- 出生地
- 大阪府東大阪市長瀬町
- 本名
- 比田 孝三郎(ヒダ コウザブロウ)
- 主な受賞名〔年〕
- 上方漫才大賞奨励賞(第9回)〔昭和49年〕,上方お笑い大賞(第6回)〔昭和52年〕
- 経歴
- 23歳で故都家文雄に弟子入りして都家文蔵を名乗り、“ぼやき”漫才を始める。戦後、妻の漫才師生恵幸子とコンビを組み、歌謡曲や世相、風俗をネタにしてぼやき倒したのが評判をとった。「責任者出てこい!」「世の中、なめとんのか!」は独特のギャグ。また、関西芸能親和会長も務め、30年代からずっと刑務所慰問を続けていた。平成3年その生涯をモデルにしたドラマ「ああ愛しき天啼」が放映された。レコードに「幸朗・幸子のぼやき教室」。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
人生 幸朗
ジンセイ コウロウ
- 職業
- 漫才師
- 肩書
- 関西芸能親和会長
- 本名
- 比田 孝三郎(ヒダ コウザブロウ)
- グループ名
- コンビ名=人生幸朗・生恵幸子
- 生年月日
- 明治40年 11月2日
- 出生地
- 大阪府 東大阪市長瀬町
- 経歴
- 23歳で都家文雄に弟子入りして都家文蔵を名乗り、ぼやき漫才を始める。昭和29年16歳年下の生恵幸子とコンビを組み、同時に結婚。以来、57年に病没するまで、即興で歌謡曲や世相・風俗を題材にぼやき倒し、“責任者出てこい!”と叫ぶと、当意即妙で応えてきた幸子が“出てきはったらどないすんのん”“アホ!いつまでぼやいてんねや!この泥亀!”と突っ込んでしめる芸風で人気を博し、ぼやき漫才・夫婦漫才の代名詞として戦後の上方漫才を支えた。また、関西芸能親和会長も務め、長く刑務所慰問を続けた。平成3年その生涯をモデルにしたドラマ「ああ愛しき天啼」が放映された。レコードに「幸朗・幸子のぼやき教室」がある。
- 受賞
- 上方漫才大賞奨励賞(第9回)〔昭和49年〕,上方お笑い大賞(第6回)〔昭和52年〕
- 没年月日
- 昭和57年 3月4日 (1982年)
- 家族
- 妻=生恵 幸子(漫才師)
- 伝記
- オモロイやつら惜別 お笑い人芸人女房伝 竹本 浩三 著相羽 秋夫 著島崎 恭子 著(発行元 文芸春秋東方出版集英社 ’02’01’88発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報