歌謡曲(読み)かようきょく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

歌謡曲
かようきょく

日本の大衆歌曲の一種。歌詞は感傷的,抒情的なものが多く,旋律は短音階に伝統的な陰旋法を加味し,節回しに装飾的な,いわゆる小節をきかすことなどを特徴とする。松井須磨子が『復活』の劇中で歌った『カチューシャの唄』 (1914,中山晋平作曲) がその始りとされるが,歌謡曲という呼称は昭和の初期に放送用語として生れたものである。現在では外国のポピュラーソングの影響を受けたものが多く,いわゆる流行歌と同意味に使われる。

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デジタル大辞泉の解説

かよう‐きょく〔カエウ‐〕【歌謡曲】

昭和初期以降、主に日本で作詞・作曲され、レコード・ラジオ・テレビなどを通じて流布される大衆的歌曲。
洋学様式で作られた歌曲旧称。昭和初期までいわれた。

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百科事典マイペディアの解説

歌謡曲【かようきょく】

現代日本の大衆歌曲。名称は,〈流行歌〉〈はやり歌〉と呼ばれていたものを昭和初期にJOAK(のちのNHK)が〈歌謡曲〉という名で放送したことによる。映画,ラジオ,レコード,テレビなどマスメディアの発達と深くかかわり,外来音楽の影響も大きい。大正期に大流行した《カチューシャの唄》(1914年)が歌謡曲の第1号とされる。作曲者の中山晋平はその後《船頭小唄》(1921年),《波浮の港》(1928年)などを手がけた。古賀政男藤山一郎の歌った《酒は涙か溜息(ためいき)か》(1931年),《影を慕ひて》(1932年)などの〈古賀メロディー〉で親しまれた。《赤城の子守唄》(1934年)などを歌った東海林(しょうじ)太郎も時代を画した。また,服部良一は,淡谷のり子の歌った《別れのブルース》(1937年)でブルースのリズムをとり入れた。戦時下では古関裕而作曲《露営の歌》(1937年),《若鷲の歌》(1943年)など軍国歌謡一色となった。敗戦直後は,並木路子の《リンゴの唄》(1945年)に始まり,笠置シヅ子東京ブギウギ》(1947年),近江俊郎《湯の町エレジー》(1948年),藤山一郎《長崎の鐘》(1949年)がヒット。また,後に歌謡曲の女王と呼ばれる美空ひばりが《悲しき口笛》(1949年),《越後獅子の唄》(1951年),《リンゴ追分》(1952年)などをはやらせた。1953年,テレビ放送が開始,このころからレコード産業と結びついて歌手を売り出すプロダクション・システムが導入され,1959年にはレコード大賞が制定された。1958年のロカビリー旋風は1960年代の和製ポップスにひきつがれる。中村八大作曲,永六輔作詞で《黒い花びら》(1959年),《上を向いて歩こう》(1962年),《こんにちは赤ちゃん》(1963年)などが生まれた。1960年代にはマイク真木《バラが咲いた》(1966年)などのフォーク・ソングについで,ザ・タイガース,ブルー・コメッツなどのグループ・サウンズが流行した。1970年代は,荒井由実(松任谷由実),中島みゆきに代表されるニューミュージックが登場,若年層にはピンク・レディーなどアイドル歌手が熱狂的に支持される一方,カラオケ・ブームのなかで演歌などの伝統的歌謡曲のレコードなどの売上げは不振に陥っている。
→関連項目サザンオールスターズフランク永井三波春夫

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世界大百科事典 第2版の解説

かようきょく【歌謡曲】

日本の代表的大衆歌曲。〈歌謡〉は日本古来の歌を意味し,明治期に西欧の芸術歌曲を〈歌謡曲〉と呼んで新時代の歌を区別した。それが現在のように大衆歌曲を意味するようになったのは,昭和のはじめからで,JOAK(現在のNHK)が,それまで〈流行歌〉〈はやり歌〉と呼ばれていた大衆歌曲の放送にあたって,はやるかはやらないかわからない歌を〈はやり歌〉とするのは適当でないし,またレコード会社の宣伝にならないように考慮して,〈歌謡曲〉という名で放送したことによる。

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大辞林 第三版の解説

かようきょく【歌謡曲】

近代・現代の日本の流行歌。昭和初期以後の用語で、主にラジオ・テレビ・レコード・映画などによって大衆に広まった歌曲。邦楽・洋楽両者の音感覚を折衷した性格をもつ。
洋楽の歌曲。明治・大正時代にリート(ドイツ語)などの訳語として用いられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

歌謡曲
かようきょく

音楽の分類用語。(1)1923年(大正12)2月、大阪の東亜蓄音器が宮城道雄らの新箏曲(しんそうきょく)のレコードにつけた種目名。数年を経ずして同社は解散したため、この用語は定着しなかったが、27年(昭和2)9月以降は日本放送協会の使用するところとなり、新箏曲ばかりでなく、新しい三弦歌曲の総称として、ラジオで使用された。(2)1930年代までは、西洋の芸術的歌曲の訳語としても用いられた。(3)1933年(昭和8)の夏ごろから、日本放送協会は日本人の作曲した「流行歌」にもこの名称を転用し、以来、大衆音楽の種目名となった。この使用法が現代にまで受け継がれたが、73年(昭和48)ごろから「ニューミュージック」と「演歌」に二分され、歌謡曲という名称は廃れた。[倉田喜弘]

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世界大百科事典内の歌謡曲の言及

【音楽】より

… 現代は,音楽の聞き方が柔軟な広がりを見せつつある時代といえよう。とくに日本では,洋楽・邦楽の各ジャンル,歌謡曲,民謡,ジャズ,ポピュラー音楽など,あらゆる種類の音楽が並立し,さらにCMソングやバックグラウンド・ミュージックまで数えれば,音楽は膨大な広がりをもっている。この状況は,とくに第2次世界大戦以後のマス・コミュニケーションの発展によるあらゆる種類の音楽への接近可能性と,音響機器の発達による録音再生および複製の広範な可能性によって開かれたものであり,新しい状況は音楽の概念そのものの変質と拡大を促したのである。…

【流行歌】より

…その伝承が組織的に体系化されるにいたったものは,不易性をもつ芸術的種目として除外される。古代の風俗(ふぞく)歌,童謡などや,中世以降の小歌から,現代の同様な性格のものまで含まれるが,この言葉の語感からすれば,主として江戸時代の大衆流行歌謡をいい,現代において洋楽の影響下に成立した流行歌曲は,流行歌(りゆうこうか),歌謡曲などと称して除外される。江戸時代初期の三味線伴奏のはやりうたとしての最古典曲として〈平九節(ひらくぶし)〉を〈本手の小うた〉,これに対して,それ以後のものを〈破歌〉といったところから,〈小うた〉〈はうた〉などの言葉が,小編のはやりうたの意で用いられるようにもなった。…

※「歌謡曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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