朝日日本歴史人物事典 「人見必大」の解説
人見必大
生年:寛永19?(1642)
江戸前期の本草学者,食物研究家。幕府の侍医随祥院元徳の子。小野必大が本来の氏名で,中国風に野必大とも名乗った。先祖が源頼朝から人見姓を与えられたとの伝承により,人見姓を通称とした。千里,丹岳とも号した。食生活が豊かになり,食物と健康の関係に関心が集まった元禄期に,本格的な食物本草の書『本草食鑑』(1697)を刊行した。同書は多数の食品を健康への良否を中心に解説し,民間行事や民間伝承の紹介も多く民俗学的にも重要視されている。延宝1(1673)年,禄300石を継ぎ,幕府の医官として波乱なく過ごした。<参考文献>古島敏雄『日本農学史』1巻(『古島敏雄著作集』5巻)
(筑波常治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報