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人見竹洞 ひとみ ちくどう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

人見竹洞 ひとみ-ちくどう

1638*-1696 江戸時代前期の儒者。
寛永14年12月8日生まれ。人見卜幽軒(ぼくゆうけん)の甥(おい)。林鵞峰(がほう)にまなび,幕府の儒官となる。「本朝通鑑(つがん)」の延喜(えんぎ)以降の編修にくわわった。元禄(げんろく)9年1月14日死去。60歳。京都出身。名は節。字(あざな)は宜卿。通称は友元(ゆうげん)。別号に鶴山(かくざん)。著作に「韓使手口録(かんししゅこうろく)」「日光参詣記」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

人見竹洞

没年:元禄9.1.14(1696.2.16)
生年:寛永14.12.8(1638.1.22)
江戸前期の儒学者,漢詩人。名は節,一名(字も)宜卿,通称又七郎,友元,号は竹洞,鶴山など。本姓小野氏。野節と修す。禁裏の医師の子として京都に生まれる。幼年から江戸に出て林羅山に従学。徳川家光時代,世子家綱の御伽役となり,のち幕儒に任ぜられ剃髪。『続本朝通鑑』編纂に参画,法眼に叙せられ,延宝2(1674)年家督采地700石を相続する。公務では朝鮮通信使応接(1682),武家諸法度(天和令)成稿(1683),諸家諸寺への朱印状作りなどに携わり,木下順庵らとの『武徳大成記』編述も徳川綱吉時代の業績のひとつである。このように代々の将軍の信任を得て幕府の修史,書記役を主としたが,諸大名旗本の間,あるいは林家を介した学者文人連中との交流の中心にもいて,詩文も名勝に寄せたものや贈答の作が多い。日本化した詩文とはいえ,むしろ徂徠学以後の文事よりも発想や方法に自在さが窺える。<著作>『人見竹洞詩文集』(国会図書館蔵写本『竹洞全集』)<参考文献>田代黒滝「人見友元伝」(『下野史談』6巻3号)

(宮崎修多)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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