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林鵞峰 はやしがほう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

林鵞峰
はやしがほう

[生]元和4(1618).5.29. 京都
[没]延宝8(1680).2.28. 江戸
江戸時代前期の儒学者。林羅山の第3子。名は恕,春勝。字は子和,改字は之道。春斎と称した。鵞峰は 18あまりある号のうちの一つ。文穆と私諡。幼時父羅山の江戸移住に際し母とともに京にとどまり,文詞を那波活所,書を松永貞徳に学んだ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

林鵞峰 はやし-がほう

1618-1680 江戸時代前期の儒者。
元和(げんな)4年5月29日生まれ。林羅山(らざん)の3男。那波活所(なば-かっしょ),松永貞徳に師事。寛永18年父とともに「寛永諸家系図伝」の編修にあたる。明暦3年林家をつぐ。寛文10年(1670)「本朝通鑑(つがん)」を完成。延宝8年5月5日死去。63歳。京都出身。名は春勝,恕(しのぶ)。字(あざな)は子和,之道。別号に向陽軒など。僧号は春斎。編著に「日本王代一覧」「本朝一人一首」など。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

林鵞峰

没年:延宝8.5.5(1680.6.1)
生年:元和4.5.29(1618.7.21)
江戸前期の儒学者。名恕または春勝,字子和のち之道,幼名吉松,通称又三郎。号は鵞峰,春斎,向陽軒など。林羅山の3男。京都生まれ。早世した長兄や那波活所,松永貞徳に和漢の学を受けた。20歳代から評定所で寺社訴論を審議し,『寛永諸家系図伝』編纂の下命後は父を補助。また高野山騒動の処理や朝鮮通信使応接に当たり,その間諸大名の求めに応じて,経書講義や和漢史書人物伝の類を執筆。寛文1(1661)年法印,3年弘文院学士。父死後の同4年,羅山の『本朝編年録』を増補改訂して『本朝通鑑』として完成すべき命が下るや,幕府は上野忍岡の林家別邸内に国史館を建て,史生写字生らを雇い住居食料を支給。林家が官学の色彩を帯びる事実上の契機ともなった。『通鑑』と銘うつわりに朱子学の名分論的史観はあらわでなく,水戸の『大日本史』と比較かつ批判されることが多いが,これは事実を素直に叙述する鵞峰の意識的な姿勢による。広く松平忠房徳川光圀ら好学の大名や各地の秘庫から稀書善本を借覧参考し,思想,文芸界に歴史意識を高める結果を生んだ。編纂作業の合間には詠史を課して詩歌連句を楽しむなど,思想性思弁性に縛られぬ肩の力を抜いたこの気風は,のちに糾弾される林家の微温的風潮の遠因でもあろう。寛文10年完成。しかしながら鵞峰の和漢にわたる膨大な知識に対する咀嚼力は,新学問の幅を十分に広げることになり,享保以後における儒の体系化日本化への布石と評しうる。<著作>『本朝一人一首』『日本書籍考』『鵞峰林学士全集』『国史館日録』

(宮崎修多)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

林鵞峰
はやしがほう
(1618―1680)

江戸前期の儒者。名は春勝、恕(しのぶ)。字(あざな)は子和(しわ)、のちに之進(ししん)。薙髪(ちはつ)して春斎と称し、鵞峰、向陽子と号す。京都で生まれ育つ。羅山(らざん)の三男であったが、兄2人が早世したので家を継ぐ。父のほか那波活所(なわかっしょ)、松永貞徳(まつながていとく)に学ぶ。1633年(寛永10)江戸に下り、翌1634年将軍家光(いえみつ)にまみえ、1638年には評定(ひょうじょう)席に出仕して、公事(くじ)訴訟のことにあずかる。以後、幕府に仕えて、外交や文教政策の遂行にかかわり、忍ヶ岡(しのぶがおか)の学問所に拠(よ)りつつ儒教の研鑽(けんさん)・発展に努める。鵞峰は、博覧強記で広く漢籍に通じ、五経の私考を著すなど経学上の功績が大きい。また史学に秀で、幕命により父羅山の遺業を継いで日本の通史の編纂(へんさん)にあたり、1670年(寛文10)『本朝通鑑(ほんちょうつがん)』310巻を完成し、ほかに『日本王代一覧』(1652成立)などの史書を著す。これらの史書は、儒教的歴史観にたちつつ、新たな日本の歴史像を定立したもので、文化史・思想史上の意義が大である。[玉懸博之]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の林鵞峰の言及

【寛永諸家系図伝】より

…寛永年間(1624‐44)に江戸幕府が編修した系譜集。仮名本・真名本各186冊。清和源氏・藤原氏・平氏・諸氏の4類,および医者・同朋・茶道に分け収録。1641年2月7日に太田資宗が諸家の系図を編修し差し上ぐべき旨の上意をうけ,同人が総裁,林羅山・鵞峰が編集責任者となり事業を推進,43年9月17日に両本都合372巻が献上された。献上の仮名本(続群書類従完成会より活字本刊行中)は内閣文庫に,真名本(重要文化財)は日光東照宮に所蔵されている。…

【玉露叢】より

…著者不詳。林羅山あるいは林鵞峰著とする説があるが,確かではない。1674年(延宝2)の自序によれば,著者若年よりの見聞を得るにしたがって,日次記(ひなみき)のように書きつけたという。…

【林梅洞】より

…名は,字は孟著,通称は又三郎。林鵞峰(がほう)(羅山の三男)の長男として江戸に生まれる。幼時から穎才(えいさい)を現し,将来を嘱望されていたが,24歳で夭逝した。…

【本朝通鑑】より

…神代から1611年(慶長16)に至る間の漢文による編年体の史書。林羅山・林鵞峰著。310巻。…

【林家】より

…〈はやしけ〉の音読による呼称で,江戸時代,林羅山を初代として幕府の教学に関与すること12代に及んだ家。1607年(慶長12)羅山が徳川家康に登用され,諸法度の起草,外交文書の起案など枢機に参与し,側近者的役割を果たし,秀忠,家光にも出仕し,その忍岡(しのぶがおか)の家塾は幕府の学問所的役割を担い,江戸の漢学興隆の基を開いた。次の鵞峯(がほう)も治部卿法印,弘文院学士としてその役割を継承し,3代の鳳岡(ほうこう)は蓄髪して大学頭に任ぜられ,将軍綱吉の学問振興策に際会し教学の中心となった。…

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