20世紀日本人名事典 「人見誠治」の解説 人見 誠治ヒトミ セイジ 昭和期の新聞人 秋田魁新報社会長。 生年明治31(1898)年1月12日 没年昭和53(1978)年1月16日 出生地秋田県秋田市 学歴〔年〕秋田中〔大正4年〕卒 主な受賞名〔年〕藍綬褒章〔昭和37年〕,勲三等瑞宝章〔昭和43年〕 経歴昭和2年秋田魁新報社に入社。運動部、政治部の記者を経て、計画部長、地方部長、社会部長、業務局次長などを務め、18年取締役、21年社長に就任。44年会長。この間、28年ラジオ東北(現・ABS秋田放送)を設立、社長、会長を務めた。また、25〜52年秋田県体育協会会長として体育の振興に尽くし、36年の秋田国体開催を実現。全県少年野球大会を創設したことでも知られる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「人見誠治」の解説 人見誠治 ひとみ-せいじ 1898-1978 昭和時代の新聞人。明治31年1月12日生まれ。秋田魁(さきがけ)新報社にはいり,昭和22年社長となる。28年ラジオ東北を開設,社長。県体育協会長として36年秋田国体の開催に尽力。また全県少年野球大会の創設者として知られる。昭和53年1月16日死去。80歳。秋田県出身。秋田中学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by