仁手村
につてむら
[現在地名]本庄市仁手
元仁手・本仁手・宿仁手とも記す。利根川南岸の自然堤防上に位置し、東は榛沢郡小和瀬村、南は傍示堂村および同郡牧西村。かつては烏川の流路にあたり、慶長九年(一六〇四)代官頭伊奈忠次が同川に取水口(仁手堰)を設けて備前渠用水を開削した。寛永年間(一六二四―四四)以前は上野国那波郡に属していたが、烏川の変流によって武蔵国所属となったとされる(上野国志)。幕末の関東川々御普請所絵図によると、利根川とみられる流路の南岸に元仁手、対岸に下仁手・上仁手があり、その北の島村(現群馬県境町)と長沼村(現同県伊勢崎市)との間に武蔵・上野の国境が引かれている。なお同絵図では前河原村(現境町)は下仁手村の東に武蔵国内として記され、島村・長沼村の北にはもう一つの利根川の流路が描かれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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