仁田原重行(読み)ニタハラ シゲユキ

20世紀日本人名事典 「仁田原重行」の解説

仁田原 重行
ニタハラ シゲユキ

明治・大正期の陸軍大将



生年
文久2年10月2日(1862年)

没年
大正14(1925)年3月24日

出生地
筑後国八女郡豊岡村(福岡県)

学歴〔年〕
陸士〔明治16年〕卒,陸大〔明治21年〕卒

経歴
明治16年陸軍少尉に任官日清戦争では第二師団参謀、北清事変では第五師団兵站参謀を務めた。日露戦争では第五師団参謀長として出征、奉天会戦後に歩兵第七旅団長に転じた。44年歩兵第一旅団長、45年第二師団長、大正4年第四師団長、5年近衛師団長、6年東京衛戌総督を歴任。7年大将に昇進

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「仁田原重行」の解説

仁田原重行

没年:大正14.3.24(1925)
生年:文久2.10.2(1862.11.23)
明治大正期の陸軍軍人。福岡藩出身。明治16(1883)年陸軍士官学校卒,21年陸軍大学校卒。日清戦争(1894~95)に第2師団参謀,北清事変(1900)に第5師団兵站監部参謀,日露戦争(1904~05)には第5師団参謀長のち歩兵第7旅団長として出征。近衛師団長,東京衛戍総督などを経て,大正7(1918)年陸軍大将に進み,軍事参議官

(岸本昌也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仁田原重行」の解説

仁田原重行 にたはら-しげゆき

1862-1925 明治-大正時代の軍人。
文久2年10月2日生まれ。第五師団参謀長,歩兵第一旅団長,第四師団長などをへて大正5年近衛(このえ)師団長となる。7年陸軍大将。大正14年3月24日死去。64歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身。陸軍大学校卒。旧名は谷三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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