20世紀日本人名事典 「今中楓渓」の解説 今中 楓渓イマナカ フウケイ 大正・昭和期の歌人 生年明治16(1883)年4月20日 没年昭和38(1963)年8月17日 出生地大阪府北河内郡 本名今中 保次朗 学歴〔年〕広島高師卒 経歴中学時代から作歌をし、前田夕暮に師事して「詩歌」に参加。のちに「覇王樹」「林間」などの同人に参加し、大正14年「あかね」を刊行。昭和6年から19年まで女性短歌誌「若菜」を主宰した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今中楓渓」の解説 今中楓渓 いまなか-ふうけい 1883-1963 大正-昭和時代の歌人。明治16年4月20日生まれ。前田夕暮に師事。大阪の寝屋川高女(現寝屋川高)でおしえながら,昭和7年から若菜短歌会を主宰。8年に作詞した「野崎小唄」は,東海林太郎がうたって流行した。昭和38年8月17日死去。80歳。大阪出身。広島高師卒。旧姓は岩崎。本名は保治朗。歌集に「あかね」「白日」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by