朝日日本歴史人物事典 「今川泰範」の解説
今川泰範
南北朝・室町時代前期の武将。範氏の次男。上総介。はじめ鎌倉建長寺に入寺したが,兄氏家の死により還俗して家督を継ぐ。応安2/正平24(1369)年までには駿河守護となり,応永2(1395)年からは遠江守護を兼任。永和4/天授4(1378)年には室町幕府の侍所頭人となっている。嘉慶2/元中5(1388)年の将軍足利義満の駿河下向に際してはそれをもてなし,山名氏清,大内義弘がそれぞれ幕府に背いた明徳の乱,応永の乱において戦功をあげた。『今川家譜』には応永16年9月26日(1409年11月3日)76歳で没したとあるが不詳。法名については『今川家略記』に「長慶寺殿大山仲高大禅定門」とあるが「法高」が正しい。<参考文献>小和田哲男『駿河今川一族』
(長谷川弘道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報