今石動(読み)いまいするぎ

改訂新版 世界大百科事典 「今石動」の意味・わかりやすい解説

今石動 (いまいするぎ)

越中国(富山県)礪(砺)波郡の中心地。1585年(天正13)に地震で崩壊した木舟城(現高岡市,旧福岡町)に代わって築城寺社町人を招致してできた。城主は前田利秀。地名は石動山の虚空蔵尊を当地に移したことによるという。1638年(寛永15)に廃城となり,今石動町才許が置かれる。1637年より城端町,40年より氷見町の才許も兼帯する。町年寄肝煎,算用聞などの町役人があった。1742年(寛保2)に本町15,散町11があった。戸数は1691年(元禄4)に1162,1872年(明治5)に1086。1605年(慶長10)に宿駅の指定をうけ,埴生村を加宿とした。66年(寛文6)の駅馬は今石動59,埴生48。このころ蔵宿も置かれた。布の集散地で70年に3.8万疋を取り扱う。1786年(天明6)に旅籠屋15,蠟燭(ろうそく)屋11,鍛冶屋31,紺屋11,室屋11,油屋21があった。1889年石動町となり,1962年に砺中町と合体して小矢部(おやべ)市となる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の今石動の言及

【越中国】より

…近世には富山は城下町,魚津,放生津,氷見は港町,井波は門前町として栄えた。近世に興った町には,礪波郡では北陸道の要衝で加賀藩の奉行所のおかれた今石動(いまいするぎ),真宗善徳寺の門前町より在郷町に変化した城端(じようはな)のほか,福野・福光・津沢・戸出(といで)・杉木新(すぎのきしん),射水郡では高岡が元和の一国一城令で廃城後,商人の町に性格をかえて発展したほか,伏木・大門(だいもん)・小杉,婦負郡では八尾(やつお)・西岩瀬・四方(よかた),新川郡では東岩瀬・水橋・滑川(なめりかわ)・生地(いくじ)・泊・上市・上滝・五百石などの町々があった。近世の越中は百万石加賀藩を支える穀倉地帯で,四公六民で御蔵(公領)・蔵宿(給人知)に収納された年貢米の一部は,伏木・東岩瀬より北前船で大坂に運ばれて売却された。…

※「今石動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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