日本歴史地名大系 「今里車塚古墳」の解説
今里車塚古墳
いまざとくるまづかこふん
[現在地名]長岡京市今里
今里集落の東端部、標高二六―二八メートルの平地に営まれた、東面する前方後円墳。封土は早くに削平されたが、昭和五四年(一九七九)に実施された発掘調査で、後円部と周濠の一部が新たに確認された。
全長約七五メートル、後円部径約四五メートル、前方部幅約二〇メートルで、墳丘の周囲には全長約一〇〇メートルの盾形周濠を巡らしている。外表施設として、埴輪・葺石を伴う。葺石は最下段のものが原位置を保ち、根石は周濠の汀線上に据えられていた。根石の外側を約四メートルの間隔で囲繞する杭列が検出され、古墳築造にあたっての割付杭、または蓋形木製品などを立て並べるための支柱と推定されるもので、ほかに類例をみない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報