恵解山古墳(読み)いげのやまこふん

日本歴史地名大系 「恵解山古墳」の解説

恵解山古墳
いげのやまこふん

[現在地名]長岡京市勝竜寺

かつら川の支流小畑おばた川・いぬ川両河川合流点の西方位置する前方後円墳。標高一九メートル前後の低地にあり、地形的には犬川によって形成された谷底平野の西端部付近に立地する。墳丘は全長一二〇メートル、後円部径六〇メートル、高さ八メートル、前方部幅五五メートル、高さ六・六メートルの規模をもち、周囲には幅三〇メートル前後の盾形周濠をめぐらしている。現在、後円部が墓地、前方部が竹藪および畑となっており、原形はかなり損なわれているが、三段築成と推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「恵解山古墳」の解説

いげのやまこふん【恵解山古墳】


京都府長岡京市勝竜寺にある古墳。桂川右岸の標高わずか19mの台地端に位置し、乙訓(おとくに)地方では最大の前方後円墳。前方部を南南東に面し、全長128m、後円部の直径78m、高さ8m、前方部の幅76m、高さ6mで周囲に幅約30mの周濠があり、周濠を含めた古墳の全長は180mに及ぶ。古墳の表面には砂岩やチャートなどの葺石(ふきいし)が葺かれ、埴輪(はにわ)が並べられていた。古くから墓地があるため死者を埋葬した施設は明らかになっていないが、後円部に竪穴(たてあな)式石室があったと思われる。工事の際に前方部中央から少し後円部側に寄った場所で鉄器が出土したため調査した結果、組み合わせ式木棺と同じような木製容器に鉄製武器だけを埋納した施設が確認された。出土した鉄器は直刀146点、鉄剣11点、短剣52点、短刀1点、ヤス状鉄製品5点、蕨手刀子(わらびでとうす)10点、鉄鏃(てつぞく)472点で、総数約700点に達した。このように多量の鉄製武器が出土した例は、山城地方ではもちろん、全国的にも珍しいものであることから、この古墳は5世紀前半ごろに桂川以西の乙訓全域を支配した首長の墓と考えられている。2009年(平成21)には古墳後円部で第1段テラス部と円筒埴輪列が出土し、祭祀の場となる「造り出し」が墳丘東側でも確認できた。また、円を描くように敷かれた葺石や造り出しの一部も確認され、造り出しは西側でも過去に見つかっていることから東西両方にあることがわかったが、位置や形状に違いが見られるため非対称の可能性が高いという。1981年(昭和56)に国の史跡に指定された。JR東海道本線長岡京駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「恵解山古墳」の意味・わかりやすい解説

恵解山古墳
いげのやまこふん

京都府長岡京(ながおかきょう)市勝竜寺(しょうりゅうじ)および久貝(くがい)2丁目に所在する古墳時代中期の古墳。桂(かつら)川右岸の低地に立地する京都盆地西部では最大規模の前方後円墳で、全長120メートル、周囲に幅30メートル前後の盾形周濠(たてがたしゅうごう)の跡をとどめている。墳丘は三段築成で、葺石(ふきいし)、形象・円筒埴輪(はにわ)があり、後円部の埋葬施設は竪穴(たてあな)式石室であったらしい。1980年(昭和55)長岡京市教育委員会によって発掘調査が実施され、多くの成果を収めたが、とくに注目されるのは、前方部から副葬品のみを納めた長さ6メートル、幅0.9メートルの埋納施設が検出されたことである。副葬品の大半は鉄製の武器類であり、直刀146、剣63、鉄鏃(てつぞく)472など総数700点余にも達した。こうした副葬品埋納施設や大量の鉄製品は、全国的にみてもまれであり、古墳時代中期の様相を解明するうえできわめて重要な遺跡である。81年、国の史跡に指定された。

[山本輝雄]

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