朝日日本歴史人物事典 「他田日奉部神護」の解説
他田日奉部神護
奈良時代の下級官人。東国の地方豪族の出身。平城京左京七条に本籍を持っていたが,天平20(748)年故郷の下総国海上郡(千葉県)の郡大領(郡役人の筆頭)に任命されることを請うた文書を残している。それによると祖父以来,父の宮麻呂も兄の国足も海上郡の郡司であることをあげ,また都では,養老2(718)年から神亀5(728)年まで藤原房前の資人として仕え,その後天平20年までは中宮宮子の舎人として仕えたことをあげて,海上郡大領に任命されることを望んでいる。このように奈良時代の地方豪族出身の下級官人のなかには,中央の官司で舎人として経歴を積み,やがては出身地の郡司となってUターンする出世コースを歩む者が多かったらしい。
(鬼頭清明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報