国造(読み)くにのみやつこ

  • くにつこ
  • こくぞう
  • こくぞう ‥ザウ
  • こくぞう〔ザウ〕
  • 国▽造

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大和時代に,朝廷によって任じられた地方官の一つ。7世紀の初め頃から,大和朝廷は,地方行政組織である県制度の一環として,以前からその地方に土着し部民などを私有していた豪族を国に任じたり,朝廷から派遣したりして,支配権を確立していった。国造の支配した「くに」は,大化以後の国より小さく,国の下の郡に相当する大きさであったと思われる。地方で大きな勢力をもち,同族団を形成していた国造には姓が,九州,中部,関東の国造には・君が,畿内およびその周辺,大和朝廷の屯倉 (みやけ) のある地方の国造には (あたえ) 姓が与えられた。国造は,大化改新後,律令制によって廃止されたが,その治める地域の多くは国郡の郡を構成するようになった。しかし,旧来の国造は,令の規定によって,性識清廉で時務にたえるものがその郡の大領,少領に,強幹聡敏で書算に巧みなものが主政,主張などに任じられ,令制の地方官として優先的に採用された。このように,大化以後の新政府においては,国造の政治,経済上の地位はそのままで,国造の称号や祭祀権もそのまま公認され,職田に準じて国造田が支給された。 (→郡司 )  

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百科事典マイペディアの解説

大和朝廷の地方官。〈こくぞう〉ともいう。初め各地方の〈くに〉の支配者であったが,国家統一後は地方官として制度化された。当時の〈くに〉はほぼ後世の郡に当たる広さで,国造は大化改新後おおむね郡司となった。改新後は郡の上に国が置かれたが,天武期にはこの国ごとに1人の新国造を置き,旧国造のもっていた司祭権を掌握させた。→(くに)
→関連項目阿蘇氏豪族国造本紀氏姓制度先代旧事本紀那須国造碑大和政権

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世界大百科事典 第2版の解説

古代の地方官豪族。大化前代の国造(氏姓国造)は,5~6世紀にわたって伴造(とものみやつこ)との対応で制度化されたと考えられる。伴造が職能集団の宰領者であるのに対し,国造は(くに)と呼ばれる地域の支配者で,古い形の地方長官ともいえる。多くは各地域の小君長の後であり,中には4世紀から5世紀にかけて盛行した大和朝廷の地方制度である県主(あがたぬし)が国造になったものもある。彼らは,ほとんどが自分の勢力圏となっている地域の地名を氏とし,臣(おみ)・連(むらじ)・君・公(きみ)・直(あたい)・造などの姓(かばね)を称した。

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大辞林 第三版の解説

古代、大和の王権に服属した地方首長の身分の称。地方統治にあたらせ、大和政権は国造制のもとに地方支配体制をかためた。大化の改新による国郡制の施行によりその多くは郡司に優先的に登用されたが、一部は律令制下の国造として祭祀さいしをつかさどり、世襲の職とされた。くにつこ。こくぞう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

古代氏姓制度下の地方豪族、地方官。伴造(とものみやつこ)に対応する。6、7世紀に国造が上で県主(あがたぬし)が下の国県制設定を考える説もあるが、初期大和(やまと)政権のもとに地方官として位置づけられていた君長的な県主制が機能を弱めてきたとき、大和国家の国土統一支配の進展に対応して新たに「国」という行政圏が設定され、その地方のもっとも有力な豪族が長官の国造として位置づけられたものと認められる。7世紀なかば大化改新により地方制度が令(りょう)制の国郡(くにこおり)(評)制に切り替えられ、国造は郡領(こおりのみやつこ)(評造)になる。国造の職掌は、国造国の支配で、子女を舎人(とねり)や采女(うねめ)として中央に出仕させること、部民(べみん)や屯倉(みやけ)を管理すること、馬や兵器など物品を貢納すること、軍事力を負担することなどの任務ももっていた。最終的には、北は宮城県南部、新潟県北部から、南は九州、壱岐(いき)、対馬(つしま)まで置かれ、総計百数十に達した。国造に特徴的な姓(かばね)は直(あたい)であるが、臣(おみ)、公(きみ)や若干の連(むらじ)や造(みやつこ)もあった。もともと地方小国家の君長として成長した勢力が多いので、地域における祭主的性格も強かった。その性格は、676年(天武天皇5)ごろ、令制一国に一員の地方神祇(じんぎ)官、律令国造(新国造)が制度化されることによって伝えられた。[新野直吉]
『新野直吉著『国造と県主』(1965・至文堂) ▽新野直吉著『研究史 国造』(1974・吉川弘文館) ▽新野直吉著『謎の国造』(1975・学生社) ▽佐伯有清・高嶋弘志校訂『国造・県主関係史料集』(1982・近藤出版社)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 大化前代の地方官。在地の豪族のうち有力者を任命。「くに」の首長。「くに」の政(まつりごと)を行なう。遅くとも七世紀前半までには、全国的に設置されたと推定される。「先代旧事本紀」の巻一〇に収められた「国造本紀」には、諸国国造の叙任や系譜が記されている。紀伊国造、出雲国造の二家は大神をまつるゆえか、平安時代に至ってもその名が残り、「貞観儀式」にその任式が見える。くにのみやつこ。
※更級日記(1059頃)「紀伊の国に、紀のこくざうと申すは、この御神也」

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

大和政権の地方官
地方有力豪族が任命され,1郡ほどの地域を統治した。姓 (かばね) は直 (あたい) ・臣・君など。大化の改新では中央派遣の国司のもとで,郡司となる者が多かった。

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世界大百科事典内の国造の言及

【国】より

…そして有力な首長がさらにいくつかの〈国〉を統属したのが,邪馬台国配下の政治連合をはじめとする各地のいわゆる地域政権であった。ヤマトを中心とする地域政権の大王は5世紀末~6世紀初,諸他の地域政権に対する統一支配を強め,行政区画としての国を新設し,首長層を国造(くにのみやつこ)に任じた。《日本書紀》成務5年条に〈諸国に令(みことのり)して,以て国郡に造長を立つ〉といい,《隋書》倭国伝に〈軍尼(くに)一百二十人有り,なお中国の牧宰のごとし〉とある。…

【氏姓制度】より


[政治制度としての氏姓制度]
 このような制度は,原始共同体において,氏族や部族が社会の単位となった,いわゆる氏族制度とは異なる。もちろん,氏姓制度の基盤も,血縁集団としての同族にあったが,それが国家の政治制度として編成しなおされ,同族のなかの特定のものが,(おみ),(むらじ),伴造(とものみやつこ),国造(くにのみやつこ),それに百八十部(ももあまりやそのとも)などの地位をあたえられ,それに応ずる氏姓を賜ったところに特色がある。その成立時期は,おそらく5,6世紀をさかのぼらないであろう。…

【国造】より

…古代の地方官豪族。大化前代の国造(氏姓国造)は,5~6世紀にわたって伴造(とものみやつこ)との対応で制度化されたと考えられる。伴造が職能集団の宰領者であるのに対し,国造は(くに)と呼ばれる地域の支配者で,古い形の地方長官ともいえる。…

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