仲吉朝助(読み)なかよし・ちょうじょ

朝日日本歴史人物事典 「仲吉朝助」の解説

仲吉朝助

没年:大正15.9.3(1926)
生年:尚泰20.4.6(1867.5.9)
近代沖縄の産業界の論客で沖縄研究者でもあった。首里の士族家に生まれ,東京帝国大学農科大学乙科を卒業。帰郷して県庁吏員となり土地整理事業に従事した。県では厚遇されなかったので民間転出,沖縄県農工銀行頭取などを歴任するかたわら,産業問題に関する幾多の論説を発表した。しかし政敵からのパージをうけて要職を追放され,以後は歴史研究,詩作に没頭する。晩年に返り咲き,首里市長などを務めた。『沖縄県糖業論』は代表作。<参考文献>西原文雄『沖縄近代経済史の方法

(高良倉吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「仲吉朝助」の解説

仲吉朝助 なかよし-ちょうじょ

1867-1926 明治-大正時代政治家,実業家
尚泰王20年4月6日生まれ。明治25年沖縄県庁にはいる。のち県会議員,沖縄県農工銀行頭取。大正13年沖縄経済振興会専務理事,14年首里市長。土地制度の研究などをおこない,沖縄の社会経済史研究の基礎をきずいた。大正15年9月3日死去。60歳。琉球出身。帝国大学卒。著作に「沖縄県糖業論」。
格言など】何事もおはしまさぬと知りながら世の人なみにぬかづきにけり(伊勢神宮参拝に際して)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例