仲峯山村
ちゆうぶぜんむら
[現在地名]山添村大字中峯山
名張川西方、吉田村北西に位置する。式内社神波多神社(牛頭天王)の鎮座地で、俗称天王という。大川渡・松瀬渡は伊賀国と結ぶ交通の要衝であった。
三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)の藤井庄の記事のなかに「中分山」とみえる。近世初期畑郷の内。元禄郷帳に「仲峯山村」が初見、旗本奥田氏(忠高系)領二三二・三二石とある。しかし寛永郷帳にみえる畑村三〇五五・七九五石の知行割から推して、仲峯山村のすべてを奥田氏領とするのは元禄郷帳(「大和志料」所収)の誤記で、実際にはこのなかに庄田氏領の二五石余を含んでいると考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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