日本歴史地名大系 「仲西村」の解説 仲西村なかにしむら 沖縄県:沖縄島中部浦添市仲西村[現在地名]浦添市仲西(なかにし)・仲西一―三丁目・勢理客(じつちやく)一丁目小湾(くわん)村の東、小湾(こわん)川中流に位置する。南は勢理客(じつちやく)橋で勢理客(じつちやく)村と結ばれ、北は宮城(なーぐしく)村。国頭方面と結ぶ街道(通称国頭街道)が通る。現在は旧村の耕地の大半が牧港補給(まきみなとほきゆう)地区(キャンプ・キンザー)内。「おもろさうし」巻一五の九に「中にし」がみえ、当地にあたるともいう。絵図郷村帳・琉球国高究帳には中西村とみえ、高究帳では高頭六六七石余、うち田二五六石余・畠四一〇石余。里積記によると慶長検地時に定められた村位は小湾・竿西(中西の誤写か)の二村で田上・畠中とされている。もとは小湾川下流域に位置したが、風水や井泉の便が悪く人口増加もないことから、乾隆三二年(一七六七)東方の外間原(ふかまばる)(現在の仲西原・外間門原の東方)に移動した(「球陽」尚穆王一六年条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by