日本歴史地名大系 「伊与郷」の解説
伊与郷
いよごう
伊与(伊予とも記す)の名は文応二年(一二六一)二月二八日付千光寺領備後地庄本郷内領家職田数目録案(山内首藤家文書)にみえ、伊与郷は中世を通じて
伊与郷は文応二年には、京都庄内伊予東村所務職補任状」山内首藤家文書)、伊与西は明徳元年(一三九〇)以後は延暦寺
庄内領家職契約状」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
伊与(伊予とも記す)の名は文応二年(一二六一)二月二八日付千光寺領備後地庄本郷内領家職田数目録案(山内首藤家文書)にみえ、伊与郷は中世を通じて
伊与郷は文応二年には、京都庄内伊予東村所務職補任状」山内首藤家文書)、伊与西は明徳元年(一三九〇)以後は延暦寺
庄内領家職契約状」同文書)。
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