伊与郷(読み)いよごう

日本歴史地名大系 「伊与郷」の解説

伊与郷
いよごう

じび庄の北部、比和古頃こごろ木屋原こやばら三河内みつがいち一帯をさすとされる。「芸藩通志」は森脇もりわきを含むとするが、中世文書では森脇は別郷である。ほかに湯木ゆき(現口和町)北東部の伊与谷いよだにを含むともいわれる。

伊与(伊予とも記す)の名は文応二年(一二六一)二月二八日付千光寺領備後地庄本郷内領家職田数目録案(山内首藤家文書)にみえ、伊与郷は中世を通じて伊与東いよひがしまたは伊与東方いよひがしかた・伊与東庄・伊与東村、伊与西または伊与西方・伊与西村として文書に現れる。伊与東は三河内地域をさし、福田ふくだ(応永一七年三月二三日付「山名常熙判物」山内首藤家文書)や、「こわた」(小和田、康暦元年一〇月一〇日付「多賀通俊所領売券」同文書)地名が文書にみえる。伊与西は古頃・木屋原・比和にあたるとみられる。

伊与郷は文応二年には、京都嵯峨千光さがせんこう寺領であったが(前記目録案)、観応元年(一三五〇)以後は伊与東が京都蓮華王院領となっており(観応元年三月六日「蓮華王院領地庄内伊予東村所務職補任状」山内首藤家文書)、伊与西は明徳元年(一三九〇)以後は延暦寺石泉せきせん院領としてみえる(明徳元年八月一〇日「延暦寺石泉院領地庄内領家職契約状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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