日本歴史地名大系 「伊与郷」の解説
伊与郷
いよごう

伊与(伊予とも記す)の名は文応二年(一二六一)二月二八日付千光寺領備後地
庄本郷内領家職田数目録案(山内首藤家文書)にみえ、伊与郷は中世を通じて
伊与郷は文応二年には、京都
庄内伊予東村所務職補任状」山内首藤家文書)、伊与西は明徳元年(一三九〇)以後は延暦寺
庄内領家職契約状」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

伊与(伊予とも記す)の名は文応二年(一二六一)二月二八日付千光寺領備後地
庄本郷内領家職田数目録案(山内首藤家文書)にみえ、伊与郷は中世を通じて
伊与郷は文応二年には、京都
庄内伊予東村所務職補任状」山内首藤家文書)、伊与西は明徳元年(一三九〇)以後は延暦寺
庄内領家職契約状」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...